
「……ですから、イスラエルのすべての人々はこのことをはっきりと
知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストとも
されたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです」。
人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、
「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
そこでペテロは彼らに答えた。
「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦してただくために、
イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。
そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、
ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち私たちの神である主が
お召しになる人々に与えられているからです」。
(使徒行伝第2章 36節から39節)
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わたしもこのペテロの説教を聴いて心が痛い。
主イエス・キリストを十字架につけてしまったと自覚があるからである。
わたしは自分の子どもを2人も殺している。2人もである。
主はそれでもいやそれだからこそこんな大きな赦しがたい罪を犯している
わたしだからこそバプテスマを受けて主と和解して、そのとんでもなくひどい
罪を赦してもらうことをすすめたのである。
わたしは人間からただひとりもバプテスマを受けるようにと言われたことはない。
ただの一度もない。そしてもっと悪いことに現在いただいているような主イエス・キリストは
全き神全き人間というしっかりした信仰もなかった。しかしバプテスマを受けなければ
いけないとなぜか強く心にあったのである。
それでバプテスマを受けてクリスチャンにしていただいた。
魂の奥底からほんとうによかったと思っている。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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