あなたがたが救われたのは、実に
恵みにより、信仰によるのである。
それはあなたがた自身から出たものではなく、
神の賜物である。
決して行ないによるのではない。
(エペソ人への手紙第2章8から9節 )
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主はどのように小さく弱い「信仰」でも決して軽んじ給わない御方である。
「主よ!! 」という祈りのある人ならどのような罪を犯したことのある人でも、どのような出自の人でも、どのような職業の人でも、まさに高きも低きも富めるも貧しきも決して「差別なさらない」。
しかし主ご自身のひよがりということ、つまり一方通行の愛ではない。
「あ、彼女がわたしを呼んでいる。わたしを求めているじゃないか」とどのよう些細な気持ちでもただちに主は救いに来てわたしの心と魂と体に住んでくだるのである。フツーのクリスチャンのこの取るに足らない小さなわたしでもこのことを体験させていただいている。日毎に一分一秒間断なく。それは、引用の聖句のように決してその人の行ないによるのではない。何か尊いことをすることができるからといったそのようなことではない。いわゆる「信仰義認」である。
信じるあるいは信じてみようか程度のあなたの心があれば主は日毎に間断なくあなたの心と魂と体を救うべくあなたの心と魂と体に住んでくださる。
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