ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

苦難の日。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(旧約聖書)

2020年09月08日 00時07分16秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
      苦難の日、わたしはお前を救おう。
      そのことによって、お前はわたしの栄光を
      輝かすであろう。

        (詩篇第50篇 第15節)



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 あなたにはどのような苦難、苦しみがあるだろうか?
 彼氏や彼女に振られた苦しみか?
 受験に失敗した悲しみ、絶望感か?
 誰かと死別した苦しみか?
 病気の苦しみか?
 これらはみな苦難である。
 そんな時、わたしたちフツーのクリスチャンは主イエス・キリストを呼ぶ。
 そして主イエス・キリストの御力によって何らかの解決や心底からの救い、全身全霊の救いが与えられる。このことはフツーのクリスチャンのわたしが何度も体験したことだ。
 いのちそのものを救って戴いている。
 わたしは病気だが、そのことさえも救いの出来事と確信を持って言える。
 主イエス・キリストがわたしにこの病気を与えた。
 ある人は「あなたって自分の病気まで宣教の道具としてお気楽に使うけど、たとえばあなたなんかよりもっとヒドイ病気の人が、病気というものまで神さまのお恵みだなんて言うことを聴いたら、きっととても傷つくと思うんだけど。よく平気でそんなブログを続けられるものだわ」と平然と言う。
 わたしもまた平然と言わせてもらう。
 このブログはただ一重に主イエス・キリストとはどのような神さまかを気楽に知っていただきたいために書かせてもらっているだけである。
 わたしはフツーのクリスチャンだから。

 苦しみの最中におられる方の思いが全く分からないわけではない。(すべて分かると言えばそれこそ傲慢である)。でも、わたしはわたしなりに苦しみの中を歩んで来て、今、このように考えると表明する以外に方法を知らない。あまりにも苦しんで苦しみ過ぎて、神さまを呪ったこともある。(これからだってどうなるかは分からない)。
 まさに今のわたしが神さまへの思いを告白した結果、書くべきことはこのブログに書いたこと以外にないと確信し、主イエス・キリストもそのことを許したもうたと信じたから書いている。
 主に栄光。




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