ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

愛を祈り求めるということ。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2020年09月07日 00時05分59秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
     わたしがあなたがたを愛したように、
     あなたがたも互いに愛し合いなさい。

       (ヨハネによる福音書 第15章 第12節)



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 上記に引用した新約聖書の一節は、聖書全巻で最も大切な箇所のひとつだ。
 主イエス・キリストがわたしたち人間に、まるで父親が子供を諭すように言った重要で深いみ言葉である。
 主イエス・キリストは十字架刑になるが、わたしの中でまたあなたの中で生きておられるという事実を証明するものだ。人間と人間に限って言うが、「わたしたちはなぜ愛するか」といえばわたしたち人間に「愛すること」「愛されること」を求めさせる何者かが存在するからだ。
 わたしたちフツーのクリスチャンはその根源を、この全宇宙を創造してくださった主イエス・キリストに置く。この方がわたしたち人間を「愛を求める者」として創造したのだ。「愛」の根源をわたしはフツーのクリスチャンは主イエス・キリストに置く。
 そして日々の日常生活の中で、主イエス・キリストに「愛し合うことのできる愛をください」と祈り求めながら生きるのである。わたしたちクリスチャンの信仰では主イエス・キリストに「愛」を祈り求めなければ、「愛し合うこと」も「愛されること」もできないのが人間だ。
 「人間」とは主イエス・キリストにお祈りできて初めて「フツーの人間」なのだ。このことは他宗教の他の神さまを信仰しておられる方もご理解いただけると思う。
 つまり「真の人間」とは「神さまにお祈りする姿勢」がある人のことだ。
 「神さまに祈る姿勢」こそ「真の人間」だと全宇宙のすべての人類に向かって声を大にして、わたしたちは主張しつづける。
 主イエス・キリストの御名によって。
 アーメン。



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