さばきをするとき、人をかたよって見てはならない。
身分の低い人にも高い人にもみな、同じように聞かなければ
ならない。人を恐れてはならない。
さばきは神のものである。
あなたがたにとってむずかしすぎる事は、わたしのところに
持って来なさい。私がそれを聞こう。
(申命記 第1章 17節 )
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わたし少女ジーザスはもしまちがってわたしのような者がさばきつかさになって
さばきをするようなことになったら、いつもいつも書くことだが、こんなとき
主イエス・キリストだったらどのようにお考えになるだろう、こんなとき主イエス・キリスト
だったらどのように行動なさるだろう、このさばきは主イエス・キリストだったらどのような
さばきを下されるであろうと考えいちいち主イエス・キリストに聴いてさばきを下すだろうと思う。
そうでなければさばきは神のものではない。
父と子と聖霊なる主に向かって主イエス・キリストの御名によってさばきをしなければならない。
わたしはごく普通の一般的人間である。
人をかたよって見たり、差別したり、またその人の身分によって特別な扱いをしてしまうかもしれない。
はっきり言って生身の人間にはさばきは無理なのだ。
だから全き神全き人間の主イエス・キリストに聞かなければさばきなどということは絶対にできない。
冤罪はだからおこってしまうのである。
みんなで聖書を読もう。主に向かってお祈りしよう。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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