人の子が来たのも、仕えられるためではなく、
かえって仕えるためであり、また、多くの人のための
贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。
(マルコによる福音書 10章 45節 )
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上記引用聖句の「仕える」とはどのようなことなのだろうか?
この世の中にはいろいろな言い方がある。
たとえば「王さまに仕える」とかである。
この場合臣下として自分を下々の者として王さまを誰よりも
尊い者として仕える。身の回りの世話をしたり、食事の用意や
世話をしたりなどなどのことを心をこめてやることが考えられる。
主イエスさまは「仕えられるためではなく、かえって仕えるため」に来てくださった
と言っている。
わたしたちをまるで「王さま」のようにではなく「自分の子供として」いわば親の立場で
身の回りのことに気をくばったり、食事の用意や世話をしてくださると言っているのである。
わたしたちはまるで当たり前のように一日三度の食事をし、当たり前のようにコーヒーや
飲み物を飲んでいる。
しかし主ご自身がみこころのままにして用意してくださらなければ何も食べられないのである。
だからわたしたちも主に習って主の恵みによって「仕える」者同士になろう。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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