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わたしはこのブログで10年程前に「光の創造」という詩を書いた。
今現在恥ずかしいかぎりの詩を書いてしまったと深く悔い改めさせて
いただいている。
「光」は「主ご自身」を指し示す表現である。
つまり光=主ご自身である。
「光」の上に肉体を着てくださった主イエス・キリストを指し示す表現である。
肉体を着てくださったのだから「創造」じゃないかとのご意見もあろうかと思う。
しかしこの御方は「神」ご自身の上に肉体を着てくださったのである。
それなのに「光の創造」とはわたしはなんというマチガイを発表してしまったのかと
深く悔い改めさせていただいている。
主ご自身のご指摘によって。
主ご自身があるいは父なる神が主イエス・キリストを「創造」なさったのではない。
主は神である御身に聖霊によって母マリヤより人性を取り肉体を着てくださったのである。
だから少女ジーザス風に表現させていただくと大昔から言い古されている「全き神全き人間」
である。
主に栄光がありますように。
主イエス・キリストの御名によって。
「光」は創造されたものではない。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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↓:ひかり
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