それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることの
すばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。
私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらを
ちりあくたと思っています。
それは、私には、キリストを得また、キリストの中にある者と認め
られ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、
すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、
という望みがあるからです。
(ピリピ人への手紙 第3章 8・9節 )
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上記引用聖句を読むとキリストがパウロを100%支配しているのが
わかる。わたしたちもこうでありたい。
徹底的にキリストの御名による神の義を求めている。
キリストがいなくてはどのように生きたらよいのかわからないのであるし、
わたしたちの信仰もむなしい。
あくまでも主イエス・キリストの御名によるわたしたちの神への信仰である。
パウロも言っているように律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる
信仰による義、すなわち信仰に基づいて神から与えられる義を持つことができる。
キリストへの信仰がすべてである。
この御方が全き神全き人間であることを魂の奥底から信じ、この御方を少しでも
知ることがわたしたちの信仰の基礎である。わたしたちはだから聖書を読む、
お祈りをする。
少しでもキリストに支配していただこう。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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