「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、
酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。
それだのに、あなたはよいぶどう酒を今まで
とっておかれました」。
(ヨハネによる福音書第2章10節 )
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主はガリラヤのカナの婚礼に招かれたとき、水をぶどう酒に変えた。
このエピソードの意味するところは何だろう?このエピソードがわたしたちに与えるメッセージは何だろうか?
このエピソードを通して主はわたしたちに何を分からせたいのだろうか?
少女ジーザス的に解釈させていただくと、水甕にたくさん入っていた水は「祈り」である。主なる神への「祈り」である。
この「祈り」をまったくしたことがないし、そんなものは知らないという人も中にはいるだろう。しかし主は水甕の水をすべてぶどう酒に変えてくださったのである。つまり全宇宙のすべての人間や人間以外の生命体の心と魂と体に主イエス・キリストご自身が介入し、つまりすべての生きとし生ける者の罪のために十字架に架かって身がわりに罰を受けられ、わたしたちに罪赦された者に復活のいのちを与えるために復活してくださったのである。
このカナの奇跡のようにしていただくためにわたしたちもお祈りしよう。主に向かって。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。
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