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わたしはなんというみじめな人間なのだろうか。
だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれる
だろうか。
わたしたちの主イエス・キリストの御名によって。
神は感謝すべきかな。
(ローマ人への手紙第7章 24・25節 )
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善をしたいと切に望んでいるのにそれができないように
悪が宿っているという原理をパウロは自覚している。
しかし普通このような「自覚」さえ持つことのできないのが
人間も含んだ主が創造なさった生命体の現実である。
しかし、この「原罪」を持って生まれてきているわたしたちすべての
生命体の罪の罰の身代わりとなって主イエス・キリストは十字架にかかって
死んでくださった。わたしたちは罪がゆるしていただける。
みんなでこの御方を信じよう。この御方のおっしゃることを実行できるように
父と子と聖霊なる神にむかって主イエス・キリストの御名によって魂の奥底から
お祈りしよう。
主イエス・キリストの弟子にしていただこう。
とこしえに。
主に栄光がありますように。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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↓:弟子
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