ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

宣教の道具として。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(旧約聖書)

2022年06月07日 00時06分07秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
   わたしは主なる神をわが避け所として、
   あなたのもろもろのみわざをのべ伝えるであろう。

    (詩篇 第73編 28節 )



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 この聖句はフツーのクリスチャンのわたしたちを永遠に支えつづける聖句である。
 フツーのクリスチャンにとって主の主王の王主イエス・キリストは救い主である。この救い主という主を呼ぶ御名は全宇宙のすべての人間と動物たち、いのちあるすべての者たちの唯一の希望である。
 誰もそしてどのような動物も「救われたい、助かりたい」とただの一度も思ったことのない者はいない。
 いうなれば、いのちある者のすべての想いであり願いである。この意味で「わが避け所」なのである。
 まるで幼い子供が、まっすぐ「お母さん! 助けて」と言って抱きつく様に似ていないだろうか?
 「わが避け所」と言ってクリスチャンはずる賢く神を都合のいい逃げ場として使っている。まるで神はあなたがたの遣い走りではないかという反論が聞える。しかしフツーのクリスチャンのわたしたちが主を使っているのではなく、主がフツーのクリスチャンであるわたしたちをお使いになっている。わたしのこの拙文とてそうである。
 そうすると次に聞こえてくるのは「そんな神がかりのキチガイが書いた文章かよ」である。しかし、わたしはフツーのクリスチャンとして、自分の内と外に宿っている主ご自身の聖霊を信じているのではなく感じさせていただきながらこのような拙文を書かせていただき、主の宣教の道具として使っていただいている。
 主に感謝。


   (「キチガイ」などとは全くの差別用語である。しかしわたし自身が精神科の治療を受けている身なのである。悪く思わないで頂きたい。)




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