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主なる神は土の塵で人を造り、
命の息をその鼻に吹き入れられた。
そこで人は生きたものとなった。
「創世記 第2章 7節」
あなたは塵だから、塵に帰る。
「創世記 第3章 19節」
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
わたしはひとりのクリスチャンとして、この聖書の箇所を読むたびに、自分自身が今まで生きて来た体験をもとに強く剣のようにわたし自身を貫く「み言葉」に出会う。
それは「聖書とは神が人間に与えた一つの宿題である」という「み言葉」である。
わたしは聖書を座右の書とした。自分が一番大切にしている書物としながら、あくまでもこの本は「神さまがわたしに与えた宿題の一冊である」と強く思いつつ読むことにしている。主イエス・キリストが直接には表わされていない旧約聖書を読むときも、その思いは変わらない。
信仰は単なる気分ではない。
もちろん熱狂でもない。
宗教に距離を置く方々からは、クリスチャンの宗教体験が「気分」であり、「熱狂」や「病気」のように映ることがある。それは仕方ないかもしれない。体験していないことは理解を遠ざけることはよくあることだから。
ただわたしは、自分がこのようにして生きていることが奇跡であり、恩寵であると思っている者のひとりである。神なしにはわたしは今、ここに存在していない。生きることをも拒否していただろうと思われるのだ。このことは主イエス・キリストがわたしに生きて働いておられることの証拠である。この証拠は人々に開示しても万民が肯んずることができるわけではない。
しかしこれを皆さんにどう伝えるていくかが、これまたわたしに課された宿題なのだと思っている。
「土の塵」で主イエス・キリストに創造されたものとして、そして彼の御名によって洗礼を受け弟子としていただいたものとして、この証拠を主イエス・キリストを知らない方々に語り伝えようと決意しているわたしである。
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「創世記 第2章 7節」
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それは「聖書とは神が人間に与えた一つの宿題である」という「み言葉」である。
わたしは聖書を座右の書とした。自分が一番大切にしている書物としながら、あくまでもこの本は「神さまがわたしに与えた宿題の一冊である」と強く思いつつ読むことにしている。主イエス・キリストが直接には表わされていない旧約聖書を読むときも、その思いは変わらない。
信仰は単なる気分ではない。
もちろん熱狂でもない。
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ただわたしは、自分がこのようにして生きていることが奇跡であり、恩寵であると思っている者のひとりである。神なしにはわたしは今、ここに存在していない。生きることをも拒否していただろうと思われるのだ。このことは主イエス・キリストがわたしに生きて働いておられることの証拠である。この証拠は人々に開示しても万民が肯んずることができるわけではない。
しかしこれを皆さんにどう伝えるていくかが、これまたわたしに課された宿題なのだと思っている。
「土の塵」で主イエス・キリストに創造されたものとして、そして彼の御名によって洗礼を受け弟子としていただいたものとして、この証拠を主イエス・キリストを知らない方々に語り伝えようと決意しているわたしである。
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