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「私たちには律法があります。
この人は自分を神の子としたのですから、律法に
よれば、死に当たります」。
(ヨハネによる福音書第19章 7節 )
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「悪法も法なり」という言葉を聞いたことがある。
たとえ「悪法」でも法律は法律にはちがいない。
しかし主イエス・キリストを殺すために彼らが引いている「法律」は果たして神の御前に正しいと言えるのだろうか?
主イエスは病人をいやし、貧しい者に福音を聞かせ、自分と同じ「人間」として扱った。
公生活の時、ご自分が厳しく禁じた「殺すな」「盗むな」「姦淫するな」を御自ら堅く守っていらした。
それなのに上記引用聖句では「法律」によって「死刑」にされようとしていることが書かれている。
古今東西、神の御前で「善」を行ったため、時の権力者から邪魔者扱いされ「思想犯」として殺された者は数限りなく存在する。
われらの主イエス・キリストはその最たる御方である。
ああ、わたしたちは「悪法」によって主イエス・キリストを「思想犯」として十字架につけて殺してしまった、神の子を殺してしまった者たちの子孫であるのだ。
わたしたちにとって「カインのしるし」は「主イエス・キリストの十字架」である。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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↓:カイン
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