
さらにアブシャロムは、「ああ、だれかが私をこの国のさばきつかさに
立ててくれたら、訴えや申し立てのある人がみな私のところへ来て、
私がその訴えを正しくさばくのだが」と言っていた。
人が彼に近づいて、あいさつしようとすると、彼は手を差し伸べて、
その人を抱き、口づけした。
アブシャロムは、さばきのために王のところへ来るすべてのイスラエル人に
このようにした。こうしてアブシャロムはイスラエル人の心を盗んだ。
(サムエル記Ⅱ第15章 4から6節 )
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
アブシャロムのように人々にこびへつらって人の心を盗むような
者に主は正しいさばきをさせるはずがない。したがってアブシャロムは、
ほんもののさばきつかさではないし、まして王になるうつわでもない。
人々にこびへつらって人の心を盗むいわばだましてさばきつかさになろう
とはよくしたものだ。
主の御前に「正しい」とは言えないと彼はおもわなかったのだろうか。
少なくとも自分は主の御前に存在しているという思いが少しでもあったなら、
こんなことはできなかったし、自分が「悪いこと」をしていると主ご自身の
御前で気が付いて我にかえったであろう。
「にせもののさばきつかさ」となってしまったアブシャロムを待ち受けていたのものは
「死」だけだった。
主に栄光がありますように。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
↓:正しい
