わたしの弟子であるという名のゆえに、
この小さい者のひとりに冷たい水を一杯でも
飲ませてくれる者は、よく言っておくが決して
その報いからもれることはない。
(マタイによる福音書第10章 42節 )
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この「わたしの弟子あるという名のゆえに」というみことばを
わたしは長い間クリスチャンだけに限られると思っていた。
しかしここ何年か前からは違う。
主の主王の王主イエス・キリストが御手により創造なさったすべての
生命体を指す、と考えている。
「わたしの弟子であるという名のゆえに」とはなんというやさしく慰めに満ちた
そう、生命体にとって、なんというやさしく愛に満ちたみことばであろう。
これはいわゆる主イエス・キリストに対して善行をつんだから天国にゆけるという
ものですらない。
みんな生きているときからなんらかの報いがいただけるものである。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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↓:むくい。
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