人が生きるのは、何かよいことをするためとか、
他人に仕えるためなどではないのです。
そうではなくて、まず、まず神の愛が私たちすべてに
溢れるほどに注がれているからなのです。
何か良いことをすることも他人に仕えていくことも、
とても大切なことですが、しかしそういうことが
まず第一にきているのではないのです。
(説教・講演集「十字架につけられ給ひしままなるキリスト」
青野太潮著 コイノニア社 )
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このわたしたちが住んでいる地球が存在している全宇宙は、主なる神が創造なさったというのがわたしたちフツーのクリスチャンのフツーの信仰である。
上記引用の青野師がおっしゃっているように「まず神の愛が私たちに溢れるほどに注がれているから」なのだ。
全宇宙は主によって創造され、生命の与え主である主ご自身の愛が与えられて存在しているのである。
あなたのそしてわたしの心臓をドクンドクンと動かしてあられるのは主ご自身である。あなたの猫や犬が元気に遊び、よくごはんを食べるのも、主の愛が注がれているからである。フツーのクリスチャンはみなこの自覚が与えられるものである。
主ご自身はどのような御方なのかといったら、まず生命の与え主なる御方である。だから人間が今まさに生きているということは主ご自身が生命を注いでくださっているからである。
およそ宗教というものは、まずこのことを「愛」と主張するものである。
神は愛であるということは、このことである。
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