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会衆の携えて来た燔祭の数は雄牛七千頭牡羊百頭、小羊二百頭、
これらは皆、主に燔祭としてささげるものであった。
(歴代誌下 第29章 32節 )
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これだけの家畜が主の御前に民の犠牲としてつまりあがないの
身代金として殺されて神にささげられたのである。
主イエス・キリストはこれらの、ある意味気の毒な家畜たちの
犠牲となる命も念頭において十字架におかかりになったのである。
宗教に犠牲はつきものである。
主はこの家畜たちのためにも犠牲になってくださったのである。
だからわたしたち主にあるものたちは、少なくとも主にある小さな
3人の家族には犠牲といったら主イエス・キリストの十字架以外思い
浮かばない。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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↓:愛
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