
夫が妻を愛し、
彼女の生命を自己の現存の中に宿そうとするとき、
彼女の眼に映る〈なんじ〉に、
永遠の〈なんじ〉の光が映るのを見出すであろう。
これに反して、〈たえず新たな女性の征服〉を
望む貪欲なものが、どうして女性の中に
永遠なる存在者の幻を期待するだろう。
(マルティン・ブーバー『我と汝・対話』
「我と汝」第3部 )
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主イエス・キリストは「神と人」との関係を、「夫と妻」との関係にたとえて語り聞かせる。
聖書全巻を通して語られる「神と人」との関係だ。
この関係は、夫がその妻を愛するごとく「神が人を愛している」ことだ。
だから創造主なる神は「創世記」の中で、「われわれにかたどって人を造ろう」と言って人を「男と女」として創造した。神にとって「われわれにかたどって人を造ろう」というのは、すなわち、人をそれぞれ男として女として神のかたちとして創造したのだ。
男も女も神のかたちなのである。(どちらが欠けてもいけない。どちらが偉いのでもない。どちらも神に愛されている。神のみこころを担う器になり得る)。
そして人はどのような人でも神のかたちとして創造された「神の子」として説くのが、主イエス・キリストの教えである。人はすべて生まれながらに「神の子」なのだ。
そして男と女の関係は、マルティン・ブーバーの言うとおり(むしろ主イエス・キリストのおっしゃる通り)、人間として最も大切な関係であると言える。
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↓:女も男も、ぽちぽち。
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望む貪欲なものが、どうして女性の中に
永遠なる存在者の幻を期待するだろう。
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「我と汝」第3部 )
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聖書全巻を通して語られる「神と人」との関係だ。
この関係は、夫がその妻を愛するごとく「神が人を愛している」ことだ。
だから創造主なる神は「創世記」の中で、「われわれにかたどって人を造ろう」と言って人を「男と女」として創造した。神にとって「われわれにかたどって人を造ろう」というのは、すなわち、人をそれぞれ男として女として神のかたちとして創造したのだ。
男も女も神のかたちなのである。(どちらが欠けてもいけない。どちらが偉いのでもない。どちらも神に愛されている。神のみこころを担う器になり得る)。
そして人はどのような人でも神のかたちとして創造された「神の子」として説くのが、主イエス・キリストの教えである。人はすべて生まれながらに「神の子」なのだ。
そして男と女の関係は、マルティン・ブーバーの言うとおり(むしろ主イエス・キリストのおっしゃる通り)、人間として最も大切な関係であると言える。
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