「キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に
入るはずではなかったのか」。
こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、
聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、
説きあかされた。
(ルカによる福音書第24章 27節 )
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上記引用の聖句は聖書は必ず読む人が主を求める心と魂があればそして主を求める「自分の意思」があれば必ず「主ご自身」が説きあかしてくださるものである。
「けれどそんなこと言ったって聖書は古臭いし、堅苦しいし、難しいんじゃない? 」と思われる方もいらっしゃるかもしれない。
ごく簡単に言えば「聖書を読むあなたが何を求めて、何の目的で読むのか?」ということに尽きるのである。
フツーのクリスチャンは、「聖書」はもちろん主ご自身ではないが、主ご自身のことが書かれてある「本の中の本、一番大切な本」として毎日「主を祈り求めながら、少しでも自分という人間が主ご自身に似た者となれるように」読む聖なる本である。
聖書に書かれている主ご自身は、何よりもまず「地の民」と当時呼ばれて、軽蔑され、ものすごい差別をされ、村八分にされ、除け者にされ、バカにされ、要するに人間扱いどころかおよそ生命をもった生命体扱いをされなかった者たちの「力強い味方」である。「救い主」である。これが「人間になった神」の御姿である。
あなたも一度騙されたとも思ってあなたの救い主を求めて聖書を読んでみてくださることを切望する。
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