
わたしは神に生きるために、律法によって律法に死んだ。
わたしはキリストと共に十字架につけられた。
生きているのは、もはや、わたしではない。
キリストがわたしのうちに生きておられるのである。
しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、
わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰に
よって生きているのである。
(ガラテヤ人への手紙 第2章 19節・20節 )
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わたしはどこにいても、何をしていても、何を見ていても、いつも主と
共にいる。いや主が共にいてくださる。「キリストがわたしのうちに生きて
おられるのである」という上記引用聖句のパウロが言っていることがとても
よくわかる。どこにいても、何をしていても、何を見ていても、いつも
イエスさまだったらどのように考えるか、どのように見えるだろうか、イエスさま
だったらこれはどのように作るだろうかとか、キリストのことで、頭がいっぱいになる。
しかしそのことで、他者に迷惑をかけたことは一度もない。迷惑をかけるとすれば、
「イエスさまだったら? 」と考えない時である。わたしはこのことがと特におそろしい。
パウロのようなしっかりとした信仰を持ちたいといつも思っている。
だからわたしにとっては「聖書」は他には何もないと言ってよいほどの「宝物」である。
しかし読まなくては何もならないので少々大変である。まだまだわからないところだらけ
であるからだ。これからも永遠に聖書を読み、お祈りをし、宣教しようと思っている。
イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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