こういう時代、こういう社会にクリスチャンとして生きている私たち
は神を離れ、救い主を裏切り、イエス様を再び十字架につけることの
ないよう、お互いに注意しあうべきではないでしょうか。
(「聖書にもとづくイエス様の受難と十字架」藤原孝行著 YOBEL社 )
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
「こういう時代こういう社会」にわたしたちはなぜクリスチャンとして生きているのか?
それは一言で言ったら主イエス・キリストを「全き神全き人間」という信仰をもったからである。
三位一体なる神の第二格子なる神イエス・キリストを「全き神全き人間」として信じたからである。
みんな心と魂と肉体のある生命体なら一度や二度ではなく「神さまってどのような御方なのだろう?」と
いう疑問をもったことのあるものはいると思う。
全くそんな疑問とは関係ないと言って生きてきたものにとってもたとえば何かのきっかけで聖書を読み
目覚めるものもいるかもしれない。
とにかく「神さま」といったら主イエス・キリストのような御方この御方なのである。
これはいわゆる単一主義ではない。
「主イエス・キリスト」といったら「三位一体なる神」なのである。
主イエス・キリスト至聖三位一体なる神よ主の主王の王主イエス・キリストを信ずである。
主に栄光がありますように。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
↓:主の主
にほんブログ村