ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

祈りの家。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2020年07月24日 00時01分31秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
      わたしの家は、祈りの家ととなえられるべきである。

           「マタイによる福音書 第21章 13節」
   




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 ここで主イエス・キリストが「わたしの家」と言っている場所は「教会」という場所に限らない。
 わたしの体と心と魂のことだ。
 そしてあなた自身の体と心と魂のことだ。
 ここに主イエス・キリストが「わたしの家」と言って住んでくださるのだ。
 だからわたしたちフツーのクリスチャンはそしてクリスチャンでなくとも、主イエス・キリストに向かってお祈りすれば必ず主イエス・キリストは来てくださる。これはわたしのクリスチャンとしての実体験である。
 お祈りの場所は「自宅」とは限らない。道を歩いていても、あるいは電車に乗っていても、自動車に乗っていても、あるいは飛行機の中でも、「ありとあらゆる場所が、お祈りの場所」となる。自分にお祈りをする意思のある限り。

 以前、わたしは「お祈りは主イエス・キリストより与えられるもの」という主旨で[言の葉]を書かせていただいた。そう、つまり「自分自身がお祈りの器」なのである。
 「自分自身がまず主イエス・キリストのお祈りの家」としていただければよいのだ。むずかしいことではない。
 お祈りがしたいと思った、そのときこそ主イエス・キリストがあなたを呼ばれているのだ。あなた自身を「わたしの家」にしたいと思ってくださっているのだ。
 あなたもあなたとあなたの家族や友人、恋人、のために「主イエス・キリストのお祈りの家」となったらいかがだろうか。



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     ↓;家。
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