あのとき、神のともしびが私の頭を照らし、
その光によって私はやみを歩いた。
私がまだ壮年であったころ、
神は天幕の私に語りかけてくださった。
全能者がまだ私とともにおられたとき、
私の子どもたちは、私の回りにいた。
あのとき、私の足跡は乳で洗われ、
岩は私に油の流れを注ぎ出してくれたのに。
(ヨブ記第29章 3から6節 )
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上記引用聖句はヨブの今の全身全霊の苦しみの状態から見れば
ずいぶんと幸せな状態である。
「神のともしびが私の頭を照らし、その光によって私はやみを歩いた」。
わたしはクリスチャンとしてヨブは今でもこの引用聖句の状態であると
思う。主なる神はヨブを全く100%見捨ててはいないからである。
その証拠にヨブは神を見失ってはいない。
クリスチャンはやみを歩くときも神の光に照らされ、やみを歩くとことが
可能だからである。
大切なのはどのようなときどのような暗やみの中にあっても「神の光に
照らされている」ことをけっして忘れないことである。
けっして絶望だけはしないことである。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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