ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(A.J.ツワルスキー):過ちとは何か。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2021年02月12日 00時04分15秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    その人を不幸にする性格上の欠点を一つあげてほしいと
    言われたら、それは、過ちを認めることができないと
    いうことでしょう。

     (「まにあうよ、いまからでも」A.J.ツワルスキー )


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 あなたは上記に引用したツワルスキー博士の言葉を読んでどう思うだろうか?
 そもそも「過ち」とはいったい何だろう?
 個人によって違うのだが、わたしは主イエス・キリストが福音書の中でたびたびおっしゃっているように、「殺すな」「盗むな」「姦淫するな」ということにつきると思っている。この三つの「過ち」(罪)を特に警戒している。
 最近尊敬している彼に「ウソをつくな」と強く言われて、それも付け加えることにした。
 この四つは悲しむべきことに人間にはつきものの「罪」だ。
 しかし、主イエス・キリストはこの罪にまみれた人間に「悔いあらためよ、天国は近づいた」と高らかに宣言したもう。この主イエス・キリストの宣言こそ「福音」というものの本質ではないだろうか?自分の罪を主の御前で認め、心底「悔いあらためる」こと。その状態になれることそのものが「神の恵み」ではないだろうか?地上に住みながら「天国を生きること」ではないだろうか?
 
 森某氏の発言など、過ちであるのだろう。
 もっともその自覚は何もないという点においては、無自覚の罪というのもあるのだろうか。



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    ↓;罪をみとめる。
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