ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(吉野源三郎):どう生きるか。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2020年04月24日 00時00分57秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    だからねえ、コペル君、
    当たり前のことを言うのが曲者なんだよ。
    分かり切ったことのように考え、
    それで通っていることを、
    どこまでも追っかけて考えてゆくと、
    もう分かり切っただなんて、
    言ってられないようなことにぶつかるんだね。

       「『君たちはどう生きるか』岩波文庫」


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 わたしはクリスチャンだ。
 しかしだからといって、「人間は愛し合うことが当然だ」と考えるのではない。
 神さまが人間を創造したのは「愛し合わせて生かすため」だという信仰を持っているが、わたしのような信仰者でなくても、「人間は愛しあって生きるものだ」ということはそれぞれの人生経験から分かることだ。
 吉野源三郎がこの本で言っているように、「当たり前のこと」「分かり切ったこと」だ。しかし、主イエス・キリストの人間観は違う。
 人間は愛し合うように創造されているにも係らず(それが当たり前のことであるのにもかかわらず)、なかなか愛し合う関係を築くことが出来ない生き物だというのが主イエス・キリストの人間観だ。
 ではそんな人間はいったいどうしたらよいのか?
 わたしの場合はわたしなりに信仰の実体験から、「主よ、愛し合う愛をお与えください」とお祈りするしかない。
 ひとりの人間として自分という愛のない人間にお手上げなのだ。だからわたしは必死になって主イエス・キリストに「愛し合う愛をお与えください」と祈るのである。
 わたしにとって主イエス・キリストにお祈りすることは、それこそ「当たり前」のことだ。でもそれは「もう分かり切ったことだなんて、言っていられないようなことに」日々出会っているからである。
 だから祈る。
 そうしなければ、わたしの全人格が死んでしまいそうになる。だから。



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