ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(ヘルマン・ヘッセ):大股に歩く人。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2020年04月25日 00時00分05秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    自分自身がたとえどうなろうと、
    ぼくは、この女性がこの世にいると知り、
    彼女の声を飲み、
    彼女の近さを呼吸するのが、
    うれしくてたまらなかった。
    彼女がぼくのために、
    母親になろうと、
    恋人になろうと、
    女神になろうと、それはかまわない。
    そこにいてくれさえすればいいのだ。

       (『デミアン』第7章 岩波文庫)


   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★

 
 わたしはフツーのクリスチャンとして上記のようにわたしに語りかけてくださっている主イエス・キリストのみこころをいつも感じている。
 以前にも書いたが、「信仰」は「恋愛」に似ている。
 わたしを愛して下さる主イエス・キリストは、まるでストーカーのようにわたしを離れない。ストーカーとは酷いたとえじゃないか、と怒られそうだ。
 でもフツーのクリスチャンの実体験として、主イエス・キリストはわたしから決して離れない。もちろんそのことをわたしは有難く思い、いつも感謝しているのだから、ほんもののストーカーの被害に苦しんでいる方には申し訳ないことだと思う。
 (stalkerには、大またに歩く人の意があるそうだ。主イエス・キリストはわたしのために大股で歩いて常についていてくださる)。

 主イエス・キリストの愛は無限である。
 いつでもどこでも、どのような場合でも、順境の時も、逆境の時も、わたしを愛してくださる愛は変わらない。
 だから主イエス・キリストへの信仰とは、大またで歩いてストーカーをしていただくことなのだ。そして助けて戴く。
 みなさんも主イエス・キリストの網に引っ掛かり、あるいは大またにストーカーして頂いてみてください。


   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★


   ↓;大きくぽちっ。
   にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へにほんブログ村


  







最新の画像もっと見る