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主はエジプトがこの民に好意を持つようにされた。
モーセその人も、エジプトの地でファラオの家臣と民に
たいへん尊敬された。
(出エジプト記第11章 3節 )
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上記引用聖句はわたしが今住んでいる国のキリスト教徒に
対する扱いと比べてとても羨ましいかぎりである。
わたしの住んでいる国は民たちひとりひとりがキリスト教に
対してあまり良い感情をもっていない。
国の政策と言ってしまえばそれまでだが、とにかくキリスト教に
対してあまり良い感情を持っていない。
憲法ではちゃんと「信教・思想の自由」が明記されているのに。
それだけ「信教・思想の自由」を完全に守りきることはむずかしい。
それにしてもキリスト教に対する感情は目にあまるものがある。
なぜなのだろうとわたしは信仰を持ってから今の今までずっと考えて
いる。しかし第二次世界大戦の頃と比べるとまだ自由があるほうである。
わたしはこのゆるされている自由を使ってあきらめず宣教しつづけようと
思う。
いつの日かわたしの住んでいる国も主なる神が目覚めさせてくれると
魂の奥底から信じている。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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↓:自由
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