ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(三浦綾子:4);永遠のいのち。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2020年08月19日 00時01分39秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    「これ、大事なことなのよ。知沙子さん、
     あなたは乾いた砂地のように、いくら
     水を与えても、すぐに欲しくなるわ。
     もしバイクを買ってもらったら、次に
     カーが欲しくなるわ。でも、それがきっと、
     あなたを幸せにはしないと思うの。
     与えられた当座だけ、ちょっと喜ぶかも
     知れないけれど」

      (「明日のあなたへ」 三浦綾子著 集英社文庫 )

     「しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも
      かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、
      その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が
      わきあがるであろう」

      (ヨハネによる福音書 第4章 14節 )


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 朝、目が覚める前に、変な夢を見た。
 数人の友人たちとアクセサリーショップにいる夢だ。わたしは今両手に指輪を四つしているし、首には小さな十字架のペンダントをしている。
 どれも千円ちょっとで買える安価な物だが、「全宇宙で一番愛している人」からそれぞれバースデープレゼントとして、クリスマスプレゼントとして贈られたアクセサリーだ。贈ってくれた彼の愛のシンボルとしてとても大切にいつも身につけている。
 それなのに今朝の夢では、彼の5つのアクセサリーのほかに、馬鹿みたいに目についたもの目についたものを友人たちに「それを買いなさいよ」なんて言われながら買い込むのだ。
 正直に言ってその夢の体験を実際にしてみたい気持ちになった。そしてそのヘンチクリンな夢を主イエス・キリストに祈ることによって「エイッ」と振り払っていただくのに半日かかった。われながらナント情けないことだろう。
 主イエス・キリストに「このバカヤロウ」と叱られているのを感じた。
 それなのにその甘ーい甘ーいヘンチクリンな夢によって引き起こされた「もっとアクセサリーが欲しい」という気持ちが完全に主イエス・キリストの「生ける水」つまり「愛」で消し去られるまで半日もかかったのだ。
 わたしとは、人間とは何という恐ろしい生き物だろうか?
 わたしはわたしにとって彼の全身全霊のこもった今身につけているアクセサリーのほかに、まったく愛とは関係のないモノを身につけようとしたのだ。わたしは自分のヘンチクリンな欲の深さを思い知った。そして改めて主イエス・キリストへの揺るぎない信仰を持つ彼が主イエス・キリストと同じくらいわたしを愛してくれていることに感謝したのだった。


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