
神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、
救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死を
もたらします。
(コリント人への第2の手紙第7章 10節 )
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上記引用聖句を現代のわたしたちに当てはめたら、
「神のみこころに添った悲しみ」とは、日常生活の中で
少しも主イエスのように生きられない、そういう悲しみでは
ないだろうか。たとえば他者に対して親切でなかったり、まわりの環境に
対してやさしくなかったり、ということではないだろうか。
あるいは、聖書に書いてあるとおりの生き方がなかなかできなかったり、
聖書自体なかなか読めなかったりとそのようなことではないだろうか。
少なくともわたしは親切でなかったり、環境にやさしくなかったり、
聖書がなかなか読めなかったりということが、最も悲しい。
願わくはこのわたしの悲しみが「神のみこころに添った悲しみ」であるようにと
お祈りするばかりである。いつもの「主イエスさまだったら」どのように
お考えになるか、どのようになさるだろうか、そして「主イエスさまだったら」
どのようにお悲しみになるだろうかと考え、主イエスご自身に対して問いかける
お祈りを一生懸命している。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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