監督は神の家の管理者として非難されるところのない者
であるべきです。
わがままでなく、短気でなく、酒飲みでなく、けんか好きでなく、
不正な利を求めず、かえって、旅人をよくもてなし、善を愛し、
慎み深く、正しく、敬虔で自制心があり、教えにかなった信頼すべき
ことばをしっかり守っていなければなりません。
それは健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを正したり
することができるためです。
(テトスへの手紙第1章 7から9節 )
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わたしはルター派ではないが、「万人祭司説」にのっとり、
クリスチャンはひとりひとりが祭司であるべきだと思っているので、
上記引用の聖句に全面的に賛成である。
ただわたしはキリスト教がマイナーな所に住んでいるので、
キリスト教徒というだけで非難されることが多い。
だから殊更非難されることがないようにしている。
神のみことばを愛し、こんなとき主イエス・キリストだったらどのように
考え行動なさるだろうかと一言一句一挙手一投足、主にご支配していただける
ように注意して生かされている。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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