ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(ジャン・カルバン):お祈りしよう。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2021年04月15日 00時02分15秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
   誰一人として、自分は正しい適切な祈りをしていると
   思えない。だが、さいわいなことに、カルヴァン自身は
   我々の過ちや足りなさのすべてにもかかわらず神と我々の
   祈りを大切にし、応えてくださるとことを認めているように
   思われる。

      (「祈りについて」カルヴァン著
        I.ジョン・ヘッセリンク編・解説
             新教出版社     )

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 上記に引用したヘッセリンク氏のカルヴァンの「祈りについて」の解説文で特に注目したいのは、「神は我々の祈りを大切にし、応えてくださる」という行(くだり)である。
 この父と子と聖霊なる主の御前では無に等しい存在であるわたしのつたないお祈りは、広大無辺な全宇宙を治めて下さっている主イエス・キリストご自身のお祈りにくらべたら(くらべると言うこと自体おこがましいが)、まるでゴミかせいぜい細菌程度のものである。
 しかし父と子と聖霊なる主はそんな細菌程度のわたしのお祈りを「大切」にして聴いてくださるのだ。
 なんという大きな何ものにも代えがたい「主の愛と希望」だろう。
 誰でもすすんで過ちを犯す者はあまりいないが、このわたしの過ちも稚拙さも力不足も、主はよろこんで引き受けてくださっていることを感じる。主の十字架はわたし自身のため、そして十字架の死よりの復活もわたし自身のためである。
 その主イエス・キリストの十字架と復活のいのちを信じて今日もわたしは祈る。


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     ↓:♰。十字架。
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