ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

信じるということ。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2021年04月01日 00時03分10秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、
    自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと
    信じるなら、あなたは救われる。
    なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して
    救われるからである。

      (ローマ人への手紙第10章第9節 )


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 ここには主イエス・キリストに対する「信仰」はすべて「自分」で「信じ」てはじめて主より与えられるということが書かれている。
 上記に引用されている聖句のようになるには、まず「自分」で「信じる」ことだ。親しい誰それさんが信じているからわたしも信じる式の何かの会員にでもなるような気持ちとは全く異質のものである。
 フツーのクリスチャンのわたしの場合はまず一冊の聖書をチンプンカンプンながら読むうちに主イエス・キリストに漁られ「この方こそわたしの救い主」という「信仰」を持つようになった。持たせて頂いた。
 これは植物の成長にとてもよく似ている体験だ。
 主ご自身がわたしの魂に「み言葉の種」を自ら蒔いてくださり、自ら芽を出させて成長させてくださったのである。水を与え、光を注ぎ。
 だから上記の聖句に書かれていることが実際に「自分の体験」としてわたしの身に起こったのである。
 「信仰」はすべて主より与えられるものだが、それを「受け入れる」のは他ならぬ「自分」である。


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       ↓:光。水。信仰。
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