「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に
施さなかったのか」。
(ヨハネによる福音書第12章 5節 )
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三百デナリといったら労働者の300日分の給料である。
それをベタニヤのマリヤは惜しげもなくイエスの足に注ぎ
自分の髪の毛でぬぐった。
礼拝のことを「聖なる浪費」というが、まさにベタニヤの
マリヤがやったことは「聖なる浪費」である。
労働者の300日分の給料を一気にイエスの足に注いでし
まったのだから。
それについてイエスは「わたしの葬りの日のためにそれを
取っておこうといていたのです。あなたがたは貧しい人々とは
いつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけ
ではないからです」と、マリヤのやったことはまさに最高の
「聖なる浪費」であるとおよろこびになったのである。
「わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです」。
これはむしろ「わたしたち信徒はいつも主よ、あなたといっしょに
いるわけではないからです」とわたしは言いたい。
ベタニヤのマリヤは最高の聖なる浪費をしたのである。
それも最も礼拝をするべき御方に。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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