ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

聖なる浪費。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2018年01月04日 00時03分40秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド




   「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に
    施さなかったのか」。


    (ヨハネによる福音書第12章 5節 )



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 三百デナリといったら労働者の300日分の給料である。
 それをベタニヤのマリヤは惜しげもなくイエスの足に注ぎ
 自分の髪の毛でぬぐった。
 礼拝のことを「聖なる浪費」というが、まさにベタニヤの
 マリヤがやったことは「聖なる浪費」である。
 労働者の300日分の給料を一気にイエスの足に注いでし
 まったのだから。
 それについてイエスは「わたしの葬りの日のためにそれを
 取っておこうといていたのです。あなたがたは貧しい人々とは
 いつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけ
 ではないからです」と、マリヤのやったことはまさに最高の
 「聖なる浪費」であるとおよろこびになったのである。
 「わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです」。
 これはむしろ「わたしたち信徒はいつも主よ、あなたといっしょに
 いるわけではないからです」とわたしは言いたい。
 ベタニヤのマリヤは最高の聖なる浪費をしたのである。
 それも最も礼拝をするべき御方に。
 主イエス・キリストの御名によって。
 アーメン。




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