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私たちすなわち私とシルワノとテモテが
あなたがたの間で宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、
「はい」と同時に「いいえ」であるような方ではありません。
この方においては「はい」だけがあるのです。
神の約束はことごとく、この方において「はい」となりました。
それでわたしたちは、この方によって「アーメン」と言い
神に栄光を帰するのです。
(コリント人への第2の手紙第1章19節 )
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「この方においては『はい』だけがあるのです。」
主イエス・キリストには神に対して「はい」だけがあるということで
ある。ゲッセマネの園で「できればこの杯をとりのけてください」と
父なる神に苦しみの祈りをしているが、結局「わたしの思いではなく
みこころのままになりますように」と祈っている。
この御方には天の父に対して「はい」しかないのであるということが
よくわかる。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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↓:苦しみ
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