ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

荒野(あらの)に導かれて。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2020年06月08日 00時05分08秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    さて、主イエスは御霊(みたま)によって
    荒野(あらの)に導かれた。

           「マタイによる福音書 第4章 1節」


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 御霊(みたま)とは主イエス・キリストの霊のことだ。
 主イエス・キリストの魂のことである。また主イエス・キリストの意思のことである。
 その自分の意思で荒野(あらの)へ主イエス・キリストは行ったのだ。荒野とは「この世」のことである。
 主イエス・キリストは私たち人間を救うために、この世に来られた。
 救い? 救いとは何だろう?
 わたしは聖書を読み始めてから、また教会へ行き始めてから、救いということが自分のこととして上手く理解できずにいた。自分のこととして感じることが出来ずにいた。どこか他所事のように思っていた。
 でも、わたしが病気になってからは違った。
 病気とはまさしく荒野に導かれることである。病気がわたしを苦しめ、また病気がわたしを試みに合わせた。しかしまさにその荒野の体験がわたしに「救い」の意味を理解させ、「救い」を実感させてくれたのである。
 クリスチャンは病気も救いだと信じることが出来る者のことである。
 やだあー、ヘンナノオ! と思う人もあるかもしれない。でも体験は人に確信を与える。頭だけで考えてもわからないことはあるのだ。
 病気そのものは治っていなくても、わたしは「いやされている」自分を感じることが出来る。救われていると感じている。
 そしてこんなヘタクソな文章を書いていても、主イエス・キリストに愛されていると全身全霊で感じることが出来るのである。




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