ああ、勇士たちは倒れた。
戦いの器はうせた。
(サムエル記Ⅱ 第1章 17節 )
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武器を持って戦争をすることより、常に主の道を歩ませまいとして
誘惑をしかけてくるのを、みことばとお祈りだけを武器として戦うこと
のほうがよほど勇気のいる戦いである。そのことを毎日の日常生活で
一分一秒間断なくいやと . . . 本文を読む
サウルは、道具持ちに言った。
「おまえの剣を抜いて、それで私を刺し殺してくれ。
あの割礼を受けていない者どもがやって来て、私を刺し殺し
私をなぶり者にするといけないから」。
しかし、道具持ちは、非常に恐れて、とてもその気になれなかった。
そこで、サウルは剣を取りその上にうつぶせに倒れた。
道具持ちも、サウルの死んだのを見届けると、自分の剣の上に . . . 本文を読む
私たちの神、主よ、どうか今、私たちを彼の手から
救ってください。そうすれば地のすべての王国は、
主よ、あなただけが神であることを知りましょう。
(列王記Ⅱ 第19章19節 )
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このヒゼキヤの祈りは時至って主イエス・キリストへの祈りと
なった。わたしたちは三位一体なる神の第二位格子なる神
主イ . . . 本文を読む
そこでダビデは、いっしょにいた六百人の者を連れて
ガデの王マオクの子アキシュのところに渡って行った。
ダビデとその部下たちは、それぞれ自分の家族とともに
ガデでアキシュのもとに住みついた。
ダビデも、そのふたりの妻、イズレエル人アヒノアムと、
ナバルの妻であったカルメル人アビガイルといっしょであった。
ダビデがガテに逃げたことが、サウルに知らされる . . . 本文を読む
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ミッションスクールというのを知っているだろうか?
キリスト教の伝道のためにキリスト教主義にのっとって
作られた幼稚園や中学校、高校、大学である。
この国はキリスト教がきらいなわりにはずいぶんと多数の
ミッションスクールがある。
この学校の特徴として、「礼拝」と「聖書の授業」がある。
学校でそんなことやってという方 . . . 本文を読む
私は、自分の罪を、あなたに知らせ、
私の咎を隠しませんでした。
私は申しました。
「私のそむきの罪を主に告白しよう」
すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。
(詩編 第32編 5節 )
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わたしはキリスト教徒になってから人工妊娠中絶を2度もしてしまった。
罪の意識が全く . . . 本文を読む
わたしたちの日ごとの食物をきょうも与えてください。
(マタイによる福音書 第6章 11節 )
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版によっては「日ごとの食物」ではなく「日ごとの糧」と訳されている。
わたしは日頃読んでいる聖書が「日ごとの食物」となっているが、
「日ごとの糧」のほうが好きである。
「食物」というところを「糧」としたほうが . . . 本文を読む
「主は主の御声に聞き従うほどに、
全焼のいけにえや、その他のいけにえを
喜ばれるだろうか。
見よ。聞き従うことはいけにえにまさり、
耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。
まことに、そむくことは占いの罪、
従わないことは偶像礼拝の罪だ。」
(サムエル記Ⅰ 第15章 22・2
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わたしはいつもいつも信仰の初心に返って地道に聖書を読み、
地道にお祈りをし、いつも主の霊に満たされることをひたすら求めている。
これがわたしの信仰生活のすべてである。
主の霊はいつもわたしと共にいてくださる。
わたしと共に住んでくださる。
わたしと共に感謝して食べてくださる。
わたしと共に聖書を読んでくださる。
. . . 本文を読む
私が仕えている万軍の主は生きておられます。
(列王記Ⅰ 第18章 15節 )
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このみことばは時至ってわたしたちの罪の罰の身代わりのため
主が十字架におかかりになり、わたしたちに復活のいのちとこしえの
いのちを与えるために十字架の死より復活して今まさにわたしたちと
共に生きておられることによって主ご . . . 本文を読む