どうか、あなたの光とまことを送り、
私を導いてください。
あなたの聖なる山、あなたのお住まいに向かって
それらが私を連れて行きますように。
こうして、わたしは神の祭壇、私の最も喜びとする
神のみもとに行き、
竪琴に合わせてあなたをほめたたえましょう。
神よ。私の神よ。
(詩編 第43編 3・4節 )
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鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、
神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
(詩編 第42編 1節 )
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なんというすばらしい表現だろうか。
のどが渇いている鹿が谷川の水を求めているのである。
これ以上に生命体(人間も含む)が神を求める姿を表現した聖句はない。
このような鹿が水を一口飲ん . . . 本文を読む
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主イエス・キリストが湖の上を歩いたことは有名なエピソードである。
主はペテロが歩きたがっているのを見て、「おいでなさい」と言って
歩かせてくださった。しかしペテロは風を見て恐ろしくなり途端に
水の中に落ち溺れかけた。主はすぐに手を伸ばしてくださり彼をつかまえ
救ってくださった。
わたしも日常生活の一挙手一投足の中で何度 . . . 本文を読む
さらにアブシャロムは、「ああ、だれかが私をこの国のさばきつかさに
立ててくれたら、訴えや申し立てのある人がみな私のところへ来て、
私がその訴えを正しくさばくのだが」と言っていた。
人が彼に近づいて、あいさつしようとすると、彼は手を差し伸べて、
その人を抱き、口づけした。
アブシャロムは、さばきのために王のところへ来るすべてのイスラエル人に
このよ . . . 本文を読む
イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布と
いっしょにはなく離れた所に巻かれたままになっている
のを見た。
そのとき、先に墓に着いたもうひとりの弟子も入って来た。
そして見て信じた。
(ヨハネによる福音書 第20章 6から8節 )
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まるで亜麻布からそのまま抜け出てしまったかのよ . . . 本文を読む
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、
自分の胸をたたいて言った。『神さま、こんな罪人の私をあわれんで
ください』。
(ルカによる福音書 第18章 13節 )
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ほんとうに魂の奥底から自分を悔い改めて神の御前に立って
祈ろうとすると、上記引用聖句の取税人のようになる。 . . . 本文を読む
罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。
(ローマ人への手紙 第5章 20節 )
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罪にまみれたこの地球にそして全宇宙に天の父は御子主イエス・キリストを
送ってくださった。
わたしたちすべての生命体の罪の罰の身代わりに十字架にかかってくださるために。
ああ、主よ、主のお苦しみはどんなだっ . . . 本文を読む
それから、イエスは宮にはいられた。そして、宮の庭で売り買いして
いた人々をみな追い出し、また両替人の台や、はとを売る者の腰掛を
くつがえされた。そして彼らに言われた、
『わたしの家は、祈りの家ととなえられるべきである』と書いてある。
それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。
(マタイによる福音書第21章 12・13節 )
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礼拝やすべて宗教儀式をするところこそ、そして宣教をするところこそ
真の要塞である。言うなれば神の要塞である。
ここでお祈りとみことばだけを武器に反キリストと戦うのが真のあたらしきイスラエル
と言える。
わたしたちはあたらしきイスラエルとして三位一体なる神を宣教するのである。
聖霊は絶対に助けてくれるというのがわたした . . . 本文を読む
「あなたがたは、かねてからダビデを自分たちの王とする
ことを願っていたが、今、それをしなさい。
主がダビデについて『わたしのしもべダビデの手によって
わたしはわたしの民イスラエルをペリシテ人の手、および
すべての敵の手から救う』と仰せられているからだ。」
(サムエル記Ⅱ 第3章 17・18節 )
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