『パウロの祈りに学ぶ-”人格の完成”について』(ピリピ書講解説教第7回)ピリピ1:9~11より 2021年6月20日小山コミュニティチャペル礼拝
『パウロの祈りに学ぶ-大切なことを見分ける』(ピリピ書講解説教第6回)ピリピ1:9~11より 2021年6月13日小山コミュニティチャペル礼拝
2021年6月20日礼拝メッセージ 要旨
■タイトル:『パウロの祈りに学ぶ-“人格の完成”について』(ピリピ書講解説教第7回)
■聖書箇所:ピリピ1:9~11
■中心聖句:ピリピ1:10b~11 (私はこう祈っています。) こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。
・原語を観察しての構造
:9 私はこう祈っています。
【第一の祈りのテーマ】 あなたがたの愛が、いよいよ豊かになりますように!
【第一のテーマのための手段】 知識とあらゆる識別力によって、
【第一のテーマの目的】 :10 あなたがたが、大切なことを見分けることができるようになるため
【第二の祈りのテーマ】 あなたがたが、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となれますように!
【第二のテーマの手段】:11 イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて。
【第二のテーマの目的】 神の栄光と誉れが現わされるために。
・今日は、10節後半から11節の「純真で非難されるところのない者となる」ということに焦点を合わせて学んでいきましょう。
・10節b こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となりますように
1.神様のみこころは、神の子どもたちの人格が整えられていくこと、そして、ついには完成されることです。
・キリスト教信仰の「理想主義」的な側面!大切!
・時代の影響も大きいことだが、おろそかにできない。
・清い生き方をしたい!という願いを人は持っている!(理想を掲げるとき、人は生き生きとするもの)
(・教育基本法 の第一条で、教育の目標は「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。 」とされています。)
・「純真で非難されるところのない者」
・「純真」 pure! 〈ギ〉エイリクリネイス ← エイレー(太陽の光)+クリノーκρίνω(ためす、裁く)
・内面のこと、心の中のことを指していると考えられる。
・「太陽の光に照らして試された・・・」
・天気がいい日、いいですね!天気がいい日、良くないことは?家のほこりが目立つ!
・「神の鋭い光の下に照らし探られても一点の汚れもない者に」(笹尾鉄三郎 全集4巻p28)
・純真とは、神様の光に照らされても、汚れがないこと!
・「非難されるところのない者」
・同じ言葉 使徒24:16 そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしています。
・似た内容 コロサイ1:22 あなたがたが聖なる者、傷のない者、責められるところのない者として御前に立たせるためです。 (エペソ1:4 ユダ:24)
・外面的なことを指すのではないか、と考える人も。
・パウロはピリピ教会のために祈った。あなたがたが、純真で、非難されるところのない者となれますように!
・神のみ心は、神の子どもたちが、純真で、非難されるところがない者、となること!!
・「キリストの日に備えて」
・それまでに、完全に「純真で非難されるところのない者に」、ではない。ホッとする。
・純真で非難されるところのない者へと近づけられるように!ハッとする!心を引き締めていかないと!
・ところで、「そんな理想、実現できるだろうか?」、「どうやって実現できるのか?」
・理想主義は理想主義。限界がある。
・キリスト教信仰の豊かさ、理想とともに、実現が約束されている!
・11節a イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、
2.神の子どもたちの人格形成は、イエス様によって与えられる義の実に満たされることによってです。
・では、「義の実」とは?
(あ)「義」という実か? 例:ブドウの実
(い)義によって生み出される実か?義とされたことによる成果? 例:労働の実(労働によって生み出された成果)
・(い)の場合、 「義認の恵みをいただいた。義とされた者として、キリストによって与えられる義の実を結んでいくことを通して…」
・義とされた者としてしかるべき実を結んでいく。 ・それは、キリストによって与えられるもの!
・御霊の実、愛のわざという実、伝道の実、…
・(あ)の場合、 「キリストによって与えられる義(義認)という実に満たされることを通して…」
・もちろん、義認は神による決定的なみわざ。段階はない!
・しかし、義認の恵みを十分に受け止めていない、ということがあり得る。
・「イエス様の義をいただいていることを十分に自覚することによって」
・コロサイ1:22 今は、神が御子の肉のからだにおいて、その死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。あなたがたを聖なる者、傷のない者、責められるところのない者として御前に立たせるためです。
・イエスの十字架による「神との和解」(義とされることともに救いの一側面)
・神との和解が、我々を、聖なる者、傷のない者、責められるところない者とする!!
・神の前に義とされた。義とされたことは、同じように、我々を純真で、非難されるところがない者とする!!
・神との関係が人を形作っていく!神との和解、神の前に義とされること、それは人を変える!
(・堕落前の人の姿を考えてみてください。神との完全な交わり!そして、完全に純真な人!)
・我々はどうする?
・コロサイ1:23 ただし、あなたがたは信仰に土台を据え、堅く立ち、聞いている福音の望みから外れることなく、信仰にとどまらなければなりません。
・神への信仰に堅く立つ!とどまる!福音(神からの良い知らせ、救いの計画)からはずれないようにする!
・自分の行いを土台としない!始めも、途中も、完成も、信仰(信頼)による救い、に立つ!
・イエス様としっかりつながれつながるほど、私たちは、義の実に満たしていただくことができます。
・イエス様にあって義とされていることを確認し続けます。
・そして、純真な者へと変えられていきます。
・11節b 神の栄光と誉れが現されますように。
3.神様の栄光が現されることこそが、神の子どもたちの人格の完成の最終目的です。
・神の栄光と誉れのために!
・最高の目的!神の栄光!
・私たちが、神のみこころにかなう者となっていくとき、神の栄光が現される!!
■宣言:神様、神の子どもである私たちを、純真で非難されるところのない者としてくださることを感謝します。現在もその途上であり、やがて完成の時が来ます。どうぞ、「イエス様による義の実」に満たしてください。