今日ものんびり・・・。
最近の私の生活は「太陽政策」にしています。
かつて、「北風政策」をして私を鍛えて下さった方がいたのですが、私自身がまだ、精神的に成長していない子供だったので、かえって傷ついてしまったからです。
相手の人を恨むだけではなく、自分も病気になり、せっかくのご好意を仇で返す形になりました。悪気があって厳しく言っておられたのではなく、私のためを思って忠告して下さっていました。それは、誰に対してもでしたから、私がいじめられた訳ではなかったのですが。
でも、傷ついてしまいました。受け止めるだけの容量がなかったのです。
人に忠告する場合
①相手との信頼関係があるか?
②相手に受け止めるだけの力があるか?
③後々まで、フォロー出来るか?
よく注意しなくてはいけないようです。その方も、後にその事をおっしゃっていました。期待しているだけに、厳しくして下さっていたのです。
また、私がこのままでは苦労するだろうと、出っ張りを砕いてくださったのです。その事には今では感謝しています。
しかし、北風は本心で立ち向かっているのなら良いのですが、心の本心を裏切ってまで、立ち向かう事があります。すると、本心と言動が解離して「自分で自分の本心が分からなくなってしまいます。」
嘘をついていることを、自分で自分が分からなくなるのです。
今は、ちょっとだらしないけど・・・私は私の本心でのびのび生きてます。
今日も!疲れてます…(苦笑)
とは裏腹に、オークションではボチボチ落札しているので「ありがとう!」です。売れると嬉しいのですが、コメントで人柄に触れる事が出来るのもいいですよ。逆に「イチャモン」付けられる事もありますが・・・。私の責任もありますから、仕方ないです。それに、仕事だと割り切れるようになりましたしね。。。ふふっ!
私は昔、買い物依存症的でした。
(正式な買い物依存症は、生活に支障を来たす様になるほど、買いまくる場合です・・・私もほとんど近かったですね)
前後の見境なく、高いものを買っていました。病気になってからです。それ以前の私は質素な生活で、1000円のジーンズにトレーナー。何万もするジーンズがあると知った時はすっごくびっくり!…それは芸能人が履くんだろうと思ってました(笑)。
それがある時、ふとしたきっかけで買い物(洋服のみ)にハマって、毎週のように友達と一緒に行くようになりました。友達は社長婦人だから自由に買えたけど、私はカードで買いました。依存的だと気づいたのは、一人でも行くようになった時からです。
①今思えば、まず一つには、主人に対しての反抗心。面と向かって言えなかったので、お金を使う事で逆らっていました。主人はその頃、家を建てるためにお金を貯めていましたから(今では主人とは、上手く話し合いが出来るようになりました)。
②二つ目は、満たされない心の隙間を埋めようとしていたのだと思います。ショッピングしている時はかなりテンションが上がりますから、楽しい気分になります。多分、軽い躁状態だと思います。
③三つ目はショップのお姉さんと話をするのが目的でした。お姉さんは仕事ですから、リップサービスもしてくれますし、話もよく聞いてくれます。いわばカウンセラーみたいな感じですね。それにいつ行っても居てくれるし。おじさん達で言えば飲み屋の女将さん?お姉ちゃん?(笑)でしょうか
当然の如く、それから主人にバレました。私は当時、「○んでもいい…」と言うような敗退的な生き方、考え方をしていましたから「どうとでもなれ!」と思っていました。
幸い主人には、すっごく!怒られましたが、離婚話にもならず全額支払ってくれました。
◎買い物依存に限らず「依存症」は自分ひとりの力では止めるのはとても難しいと思いますので、出来るだけ早い段階で家族に話した方が、一時的に嫌な思いをしても結果的には楽になるので良いと思います。
今では、友達のリサイクルショップで、198円にするか398円にするか?で悩んでいる、お店にはあまり利益の出ない客です(笑)
ですから今、昔買った高~い!服をネットで売っているんです(笑)
時々「ん?何これ~?誰が買ったんだろ~?(アホかぁ)」ってな堀だし物が私のクローゼットからまだまだ!出てきます…怖いでしょう?(笑)
本当のともだちって・・・
私には幾人かの友達がいますが、特に信頼出来る友達は2人だと思います。他の友達と2人の大きな違いは、「はっきりと信頼出来る」と言うことです。付き合っていくと、いろいろな事がありますよね。そんな時に、きちんと向き合って話が出来るか?が大切だと分かりました。
以前は広く浅く多くの友人がいました。でも、いざ問題が起こると「黙り込む人」「無視する人」「連絡を閉ざす人」などです。
ですから、本当に言いたいことがあっても「やめとこ」となって、上辺だけの付き合いになってしまったのです。「言ったら機嫌を損ねるって分かってるからなぁ~」とつい合わせていた友達もいました。ですから私は、その頃「本音で話せる友達が欲しいなぁ~」と思っていました。
今、大切に思っている友達には特徴があります。
①「絶対に裏切らない」って、言ってくれる事。
人間だから絶対って事はありえないけど、何かあっても「きっちり」話が出来る人だと思っています。
②お互いに忠告しあっても、傷つかない関係。
一人の友達は、付き合い始めた頃に、私に忠告してくれました。当たっているだけに、とても痛かったけれど「この人は信頼出来る。痛いからって逃げちゃいけない。」と思いました。
③お互いに高め合える友達。
ただ、世間話や子供や家族の話をするだけの友達はたくさんいます。でも、仕事の話や恋愛、人生観、などなどを前向きに話せる友達は以外に少ないんです。
私が今、充実した人生を生き始める事が出来たのは、この2人の友達の影響が大きいです。
今、体力的に限界のある身となって、たくさんの友達と付き合うことは私には出来ませんが、友達とは人数の多さではなく、中身の濃さだと思います。
私たちもまだまだ発展途上ですが、さらに成長し友情を深めて行きたいと思っています。
もちろん、まだ多くの良い友達にも恵まれています。今日の2人は特に親しい人達のことです。何人かのメル友。。。幼馴染。。。大切な人
先日の松江のチャットパーティーで、出雲空港の管制塔で働いている方とお話しする事が出来ました。
彼は、管制塔室からパイロットに指示を出す仕事だそうで、もちろん英語で話します。なのに(だから?なの?)、英会話教室に来ています。
「へ~~!パイロットとお話しする人がいるんだぁ~」
いえ、私もそう言う仕事をしている人がいる事は知っていたのですが、身近で見るのは初めてだったので・・・。
私は空港の滑走路のすぐ50m位のところに結婚前まで住んでいて、空港と言えば、「小さい時の遊び場」でした(笑)。
こっそり、滑走路に自転車で入り込み、広~~~い滑走路を乗り回して遊んでいました。皆さんもやってみて下さい。
「気持ち良いですよ~。」ただ、今なら捕まります(笑)
今はその方たちが双眼鏡で見張っておられて、ちょっとした障害物も見逃さないようにしているそうです。
当時は小さな駅位のターミナルで、待合室から10歩ほどで、ゲートを出る事が出来ました(笑)しかし、私たちにとってこの手前と、その後では別世界で、ここから外に出る事など出来ないものと思っていました。
子供の視点から見たら、抜け出せないように思える事でも、大人になったら「な~んだ。。。たいした事じゃないじゃないか」って事がありますね。なかなか、今いる「巣」から抜け出せない人もいますし、抜け出したくない人も居ます。しかし、ちょっと飛び立てば、違う世界にいけるんです。すぐに行けないとしても、方向だけでも変えてみませんか?
既成概念が、人を小さくしている事がありますね。
ある講演で聞いた実話です。
むか~し昔、ある所に(多分東北です・笑)集団万引きをする中学生グループがありました。
リーダーはA君。手のつけられない悪ガキです。その日も近くのスーパーで万引きをする事にしました。しかし、調度その日は見張り役の子がいなかったので、嫌がるB君を捕まえて見張りをさせました。
残念ながら?(ラッキーなことに?)今回は、警備員さんに捕まり、御用となりました。それから警察に保護者が呼び出されました。
○B君のお父さんが来ました。
お父さん「B!何て事したんだ!」
B君 「お父さん!オラは何もしてないべ」
お父さん「いんや、お前が取ったちゃろがぁ」
B君 「オラは見ちょっただけで、取っちょらへん」
お父さん「嘘だべ。お前が取らん訳ないべ~」
B君 「オラはなんもせん。父ちゃんほんとだべ~。」
それから、B君は父親に首根っこを捕まえられて帰って行きました。
○A君のお父さんが来ました。
お父さん「A!おめ~が、そんな事をするはずがね~べ。」
A君 「オラがやったべ・・・。」
お父さん「いんや、おめ~がそんな事をするはずね~。」
A君 「いや、オラがやったんだって。」
お父さん「そげな子に育てた覚えはねぇ~。おめ~はやってない。」
A君 「父ちゃん、ごめんよ。オラがやったんだべ。」
お父さん「そんな事信じないべ。お前はやっちょらん。」
A君 「ごめんよ。ごめんよ。父ちゃん、ほんとにごめん。」
そこで、A君は泣きながら自分のした事を詫び、心から反省して父親と一緒に帰って行きました。
10年後・・・・。
B君は父親の信じたように、りっぱなヤ○ザになり、恐喝、窃盗etc・・・本当に泥棒になりました。
A君はそれから、真面目に勉強し高校、大学と行き、りっぱな社会人となったそうです。
子育てに於いて、親バカ過ぎて放任主義なのは問題ですが、子供をしっかりと受け止めて、可能性をどこまでも「信じて」行く事は大切ですね。「あなたの信じた通り、あなたの身になる」のです。
私も息子をしっかりと信頼しなくては・・・と思いつつ書きました。
カテゴリーが友達で、題名が「洗濯」だったら友達が洗濯を手伝ってくれました・・・みたいな感じですね(まさかね・笑)
何にでも言える事でしょうが、「何かを得るには、捨てなければならないものもある。犠牲を払うこともある。」と、知り合いになった方がおっしゃいました。私は「なるほど~~」と納得しました。
その方は違う意味でおっしゃったんだと思いますが、私は自分の事として聞きました。
人には、限られた体力や時間がありますので、自分で何を優先させるかをいつも選択していなければなりません。特に心身的に弱い私は、的を絞った生き方をしないと身が持ちません。
自然と友達も限られてきます。昔からの付き合いで、何となく付き合ってきた人とは疎遠になってきます。
逆に、大切な友達との時間を大切にします。
する事も、何にでも手を出す事ができません。今ある事の中で優先順位をつけて、新しい事を始める場合は、何かを犠牲にしてもしたいと思う程のことかを厳選しなくては・・・と最近考えています。
では何がほんとにやりたい事なのかな?と、この頃よく考えています。
よく日記やブログにも書いているように、私の周りには今英会話を頑張っている人達がたくさんいます。
私ももちろん関心がありますが、今!やりたいの?って言われたら・・・???なんです。
理由は分かりません。寝ている時間が長いのでヒヤリングはいつもしています。
おそらく人には「時」があって、必要なときに必要なことは与えられるだろうと思っています。やりたい時にやりたい事をすれば、一番良い結果が与えられるのではないかと思うのです。甘いな・・・と思われましたか?
嫌なことをイヤイヤやっている人がいたら、本当に今自分に必要なことかを考えてみてください。イヤイヤやっていることや、いやいや?付き合っている友達との時間が、もったいないと思いませんか?
ちょっと自慢です。
いえ、大分自慢ですエヘヘヘッ!
このパンツは、売り物ではありませんよ。
リサイクルショップで買ってきました。
某有名メーカー、オンワードの「組曲」って言うブランドなんですが。
(何で、某なんだ?・笑)
実はこのパンツは、8部丈のワイドパンツで、流行からは遠く離れてしまって、今穿いて歩いたら、おそらく~・・・たぶん~・・・絶対!「ダサイ」チームのメンバーだったと思います。
私はこのパンツの裾をダブルにして、7部丈位にしたら結構イケル!と思いました。でも、手の込んだ事は挫折します(私は・・・)。
簡単に、裏側からひっくり返して縫い、表に返してアイロンを当てて、一部をくっつけました(意味分からん・笑)。
手縫いでちょっとした時間で、出来上がり~
これだったら、黒のロングブーツを穿いたら、いい感じ・・・。
股上も短いし、ベルトして初夏にはサンダル、ミュールでもOK
これを人に例えたら失礼かもしれませんが、「欠点」「挫折」と呼ばれるものも、ちょっとした工夫で「新しく生きる」事が出来ると思うのです。
私はこんな環境だからダメだ!とか、病気だから出来ない!とか、決め付けないで、出来る事を少しづつしたらいいのです。
その人らしさを生かして、別の人生を歩んだら、案外うまく行くかもしれません。
固定概念に縛られないで、自由にやれる事をやってみてはいかがでしょうか?
私の友達は「精神的な病気の人でも、仕事は出来る。出来る範囲内でスキルを生かしたらいいんだ。社長にだってなれる。そんな社会になって欲しい。そんな観点でワーカーさんにはケアして欲しいし、そんな意識の患者になって欲しい。」と言っています。
実は私自身が「リサイクル作品」なんです(笑)。
今日は、ちょっと手抜きっぽい(どう見ても手抜きだろ・笑)ですが、この言葉を載せてみました。
この言葉が掲載されていたのは、メンタルサイトと呼ばれる、精神的な病気の人がたくさん集まるHPの掲示板でした。たくさんの投稿やレスがあるのに、このメッセージには誰も答えていませんでした。
その事が私には奇妙に思えました。それは、病気の人は謙虚になっていて、この言葉でとても慰められるだろうと考えたからです。
でも、現実は違っていました。
必ずしも病気の人が謙虚になっている訳ではないのですね。
また、必ずしも本当に治りたいのではないのですね。
「成功を求め 強さを与えて欲しいと 神に求めたのに
私は弱さを与えられた 謙虚に従うことを学ぶために・・・
より大きな仕事ができるようにと 健康を求めたのに
私は病弱を与えられた 少しでもよいことができるようにと・・・
幸せになれるようにと 富を求めたのに
私は貧しさを与えられた 賢明でいられるようにと・・・
人々の賞賛を受けようとして 権力を求めたのに
私は弱さを与えられた 神を求めるようにと・・・
人生を楽しむことができるようにと 手に入るものは何でも欲しがったのに
私は命を与えられた あらゆることを歓べるようにと・・・
欲しいと思ったものは何も与えられなかったのに
私の希望はすべてかなえられた
こんな私にもかかわらず 祈りは言葉を超えてすべて聞かれた
私は誰よりも一番豊かな恵みを受けた」
※引用:「リハビリテーション医学の父 ハワード・ラスク自叙伝」石沢司訳
私はいろいろな嫌な出来事や病気によって、プライドの高い鼻持ちならなかった自分が、本当の自分に帰る事が出来ました。更には本当に信頼できる友達、家族が与えられて、今、病気を持ちながらも「しあわせ」を感じています。
私の心の叫びは聞かれ「ありがとう!」と言えるのです。
昨日は、以前から楽しみにしていた「チャットパーティー」が、松江でありました。私は娘や友達2人と、参加して来ました。このパーティーに参加するのはもう、3回目です。
はい!私の単語英語がちゃんと通じましたよ!!
マレーシア人のザイヌルと、娘と3人の会話(ザイヌルはほとんど英語で話しています)
ザイヌル「研究疲れたよ。研究所で寝泊りしたりして、もうやりたくない」
NORI「だから、メール返って来なかったもんね。(日本語)」
ザイヌル「最後の一週間は、眠くて・・・」
私 「She was sleepy.」
NORI「だって、眠かったんだもん(日本語)」
私 「毎日 Wake up!! Wake up!!I am tired.」
(過去形でしたね(^^ゞ)
しかし、NORIはタンザニアから来た留学生の女性と話していました。スゲッ!私は単語だけだったから、5分で話が終わったのに・・・(笑)
今回は3回目と言う事と、ヒアリングを家でしているので、私は話せませんが、何とか聞き取りは???・・・少しは分かりましたよ(笑)
キルギスから来た留学生は、地質学を島根大学で学んでいます。
地質学って英語でGeologyって言うんですよ~。前回は石屋さんと間違えたんですよね。。。はははっ!母国に帰ったら研究者になるそうです。
今回も、世界中の人達の集まりなのに、何の違和感もありませんでした。と言うより、とても親しみを感じました。
しかし、世界の中では戦争をしたり、テロ、内紛・・・本当に、理解しあう事はできないのでしょうか?人と人。話し合えば理解できないとは思えないのですが、それぞれの利害関係があると、多くの人々を巻き込んで、悲惨な戦争になるんですね。
人間とはかくも愛おしく、かつ残酷なものなのでしょうか
まず子育て中のお母さんの心理状態を考えて見ましょう。
世の中の人は、母親は子供が生まれた時から、愛情の固まりだと思い込んでいるふしがあります。
でも本当は、私達は子供が生まれて初めて母親になったんです。
それまでは普通の女性、女の子でした。それが突然、子供が生まれた時から母親になったんです。
病院で昨日まで「○○さん」と呼ばれていたのに、産んだとたんに「お母さん!」と変わります。この瞬間を喜びと感じる人もいるし、私のように違和感を感じる人もいます。自分は昨日の私と何も変わらないのに、環境が急激に変化します。昨日までグースカ寝ていたのに、その日から夜中に起きて、セッセとお世話しないといけないのですから。
精神的にはとても孤独ですし、かつ追い詰められた感覚に成りやすいです。
赤ちゃんは、マニュアル通りには行動しませんよね。生きているのですから。静かにしなきゃいけない時に泣き止まなかったり、熱が急に出たり…。「ちゃんと、躾してるの?」・・・なんて声が聞こえそうです。
こんな時に一番堪えるのが他人の心ない言葉だったり孤独感だったりします。仕事を持っておられるお母さんにとっては、「焦り」にもなります。
職場で優秀だった私が「こんなことをしていていいの?」子育てには終わりがないので、そんな大袈裟とも思える感覚になりやすいです。そんなイライラが自分を追い詰め、子供に当たったり、自己卑下したりしやすくなります。子育て中のお母さんはちょっと、敏感な精神状態になりやすいように思います。
①私は、仕事が合っているお母さんには、早めの職場復帰をお薦めします。お母さんの収入は保育料で飛んで行きますが、まず、お母さんが自分らしくある事が、子供の落ち着きになります。
②仕事をしていないお母さんは、グループ保育などに出かけて、みなさんとおしゃべりしながらの育児をお薦めします。
同じような子供さんのいらっしゃる、友達の家に行くのも良いと思います。ご実家に行かれるのも良いでしょう。
どちらにしても、核家族の多い中、閉塞的な環境がお互いを苦しめます。
子供と自分の両方を育てていくのです。子供は個々の個性があって、みんなと同じようには育ちません。なるべく以前お話したように放牧で・・・見守ってあげて下さい。
お母さんは、子供によって成長し「お母さん」になるのですから、自分がお母さんらしくなくても、ゆっくり・・・お母さんになりましょう。