☆ 重大な事実を隠した上での個人批判は”犯罪的!”
皆さま 髙嶋伸欣です
先に紹介したRBC琉球放送制作のドキュメント番組『遅すぎた聖断』DVDの入手を希望され方々への発送が終りました。
NHK<映像の世紀バタフライエフェクト>の5月29日放送「ベトナム戦争・マクナマラの誤謬」は、重要な事実に触れずマクナマラの人となりを不当に歪めた印象を視聴者に与えるものとなっていました。
同番組は通例通りに今週水曜日(7日)午後11時50分から再放送される旨、下記のように予告されています。
※ 放送予定 - 映像の世紀バタフライエフェクト
「映像の世紀バタフライエフェクト」の今後の放送(再放送を含む)予定一覧です
改めて、同番組への異議申し立てをします(長文です。時間のある時にご覧下さい)。
録画しておいたものを再度視聴して、同番組の最後部分の場面を以下のように確認しました。
画面では、アメリカとベトナムが国交を回復した年の1995年11月にマクナマラがハノイに赴き、ボー・グエン・ザップ将軍に面会した時のやり取りを紹介しています。
マクナマラが、なぜベトナムは戦い続けたのかと質問します。それに対し、ザップ将軍が答えた言葉(字幕)は「我々にとって、自由と独立ほど尊いものはないからです」でした。
そして画面は、マクナマラが帰路の車に乗り込む場面に変わり、「マクナマラはその答えに納得することはなかった」の字幕が重なります。続けてマクナマラ死去のニュース画面に「最後までベトナムのことを理解しないでこの世を去った」との決めつけのコメントを貼り付けています。
この場面の後で、番組はだめ押しのように「マクナマラ誤謬」という言い回しがいかに妥当であるかを強調するコメントと映像を垂れ流して終わっています。
この間、上記のマクナマラ批判については何の証明もなしです。
証明無しなのは当然です。明らかに事実無根なのですから。この点で同番組は”犯罪的”でさえあります。
マクナマラがザップ将軍と会見した1995年11月のベトナム訪問は、戦争をした双方の当事者がじっくりと時間をかけて相互理解を図る対話を開催する、というマクナマラ構想の下準備のためだったのです。ザップ将軍と会見する前にベトナム側実務者と対話開催要領の大枠ではほぼ合意に達していて、将軍とのトップ会談はその再確認の場だったと伝えられています(東大作著『我々はなぜ戦争をしたのか』平凡社ライブラリー、2010年。以下同じ)。
マクナマラが提唱したベトナム側との対話は、米国内の様々な障害・非協力を乗り超えて1997年6月20日から4日間、双方13名の参加による「ハノイ対話」として実現します。そこで、マクナマラはベトナム側の主張を詳しく聞き、自分たちアメリカ側が一貫してベトナムを見誤っていたことに気付きましたと述べています。
そのマクナマラの発言を音声テープという証拠をもって、広く紹介したのがNHKスペシャル『我々はなぜ戦争をしたのかーベトナム戦争・敵との対話』(1998年8月2日放送、60分)です(制作の過程を上記の平凡社本で、東氏が詳しく明らかにしています)。
結論として、今回の番組『ベトナム戦争 マクナマラの誤謬』は、欠陥番組と言わざるをえません。
根拠は、以下のとおりです。
① 番組では、マクナマラがベトナム側との直接の接触をしたのが1995年11月のハノイ訪問の時だけであったかのように、視聴者に思い込ませるように編集されている。
実際には、その後の1997年に「ハノイ対話」が実行されている。その歴史的事実に全く触ないままの番組を2023年に制作したという点だけをもってしても、重大な欠陥である。
仮に不用意なミスであったとしても、結果的には明確な情報隠しに当たる。
この意味で同番組は、ドキュメンタリー番組の名に値しない。
② 加えて、「ハノイ対話」の内容は、彼が「最後までベトナムのことを理解しないでこの世を去った」などというコメントとは真反対に近い理解をマクナマラが得た場であったことを証明している。このことは同「対話」についての報道や報告等ですでに明らかにされている。
当然ながら、これらの報道や報告等について、同番組の制作者たちが全く気付いていないとは思われない。①でいう重大な欠陥はミスではなく、「マクナマラの誤謬」というたとえ話に酔いしれたとでも想像するしかない、意図的な無視、情報隠しであり、世論操作となった歪曲番組と言わざるを得ない。
③ とりわけ疑問、不甲斐なく思われるのは、前出のNスペ『我々はなぜ戦ったのか』が、同じNHK内で制作されたものでありながら、無視されたままこの番組が制作、放送されたことにある。
同Nスペは「あれほど憎しみあって戦った当事者がじっくり腰を据えて話し合い、あそこまで戦うことなく収拾できたのではないかなどとの結論を共有できることが現実に起きたのか!」と視聴者や報道界に衝撃を与え、放送文化基金賞を贈られてる。
それほど話題になったNスペであっただけに、今回の事態は納得がいかない。
④ 同番組の制作スタッフが上記のNスペを記憶に留めない世代であったにしても、放送前の局内審査・校閲等で試写を視る役職者の世代までが、件のNスペに無知、或いは忘却のままであったとは思われない。
結果としてマクナマラに対する事実無根のコメント字幕をそのままスル―させて、視聴者を誤導した責任は重い。
⑤ 加えて、同番組は「マクナマラの誤謬」に焦点を集中させるあまり、まるでアメリカによるベトナム戦争介入と混迷・惨禍の最大の責任者は一人マクナマラであるかのように思い込ませるものとなっている。
しかし、マクナマラの誤りの根源であるベトナム認識の誤謬は、トルーマン政権の時にすでに生まれていた。それを歴代政権が継承し増幅し続けたのを、マクナマラは担わされたのだった。そのことは、すでに様々な場で明らかにされている。
⑥ その場の一つに、英国の独立プロダクションが制作したドキュメント番組『シリーズ・ベトナム戦争への道ー米大統領の選択・失策の連鎖』(1999年制作、「トルーマン、アイゼンハワー」「ケネディ」「ジョンソン」の3部作、各50分)がある。
これらも、NHKBSで2001年1月21日から日本語版にして放送されている。
⑦ その内容の概略は、以下の通り。
ベトナムと米国との接触は、日本軍との戦いで米国がベトナム民族主義者たちを秘密作戦に利用したことに始まる。やがて日本の敗戦後、米国はベトナムに無関心で押し通し、ホー・チ・ミンらは「見捨てられた」と受け止め、自力でフランスによる植民地復活をはねのける。
この頃、米国は毛沢東政権の成立に驚き、ベトナムの民族解放運動を共産主義拡大の政治活動と思い込む。戦後の歴代大統領たちはフランスが敗退すると、共産主義がドミノ(将棋倒し)のように東南アジアで拡大するという思い込みに基づく「ドミノ理論」に固執し、米国がベトナムに介入するという方針を確立させている。その介入が次々と不首尾になり、遂には1964年の「トンキン湾事件」以後、本格的な軍事介入に踏み切る。
*トンキン湾事件=北ベトナム軍挑発作戦でトンキン湾の領海内に入った米軍艦が魚雷攻撃をされた事件。被害がないまま、米軍が挑発したことを伏せた情報流布で、米国議会が北ベトナム爆撃と南ベトナムへの地上軍の大量派遣を決議する口実とされた。
しかし、戦況悪化に疑問をもったマクナマラは内密裏に戦況分析の研究を命じ、その報告(いわゆる「ベトナム秘密文書」)などによって「ベトナム戦争は誤りである」と認識し、撤退を主張する。だがジョンソン大統領と衝突し、辞任。
ジョンソンは大統領選挙で当選した後にようやく撤退(敗退)の決定を下す。
番組3部作はその最後の場面で、「米国のベトナム介入の歴史は、何度も停戦・和平の機会がありながら一部の政治家や軍部によって判断を誤り、進む道を誤るという”失策の連鎖”の歴史であった」旨、明確に指摘している。
⑧ このドキュメンタリー・シリーズの内容からも、ベトナム戦争を”マクナマラの誤謬”で説明したのでは、樹を見て森を見ないのと同然であることが分かる。
先のNスペを無視したのと同様に、NHK自身が放送したドキュメント番組の存在を無視した番組制作と放送、それが『ベトナム戦争 マクナマラの誤謬』だった。
NHK内部の番組審査態勢が崩壊しつつあるのではないかとさえ思える。
⑨ なお、『ベトナム戦争 マクナマラの誤謬』は統計偏重による社会現象分析の危険性を指摘していて、それなりのテーマ性を有しているように見えなくもない。しかし、だからといって、ベトナム戦争の全体像やマクナマラの自己検証の姿勢などについて、歪んだ認識を植え付けるような情報隠しの番組制作は許容できない。
ちなみに同番組の冒頭では「マクナマラの誤謬とは、数字にばかりこだわり物事の全体像を見失うこと」と説いている。だが同番組こそ”マクナマラの誤謬”の定義にばかりこだわりって全体像を見誤り、事実無根の個人攻撃のコメントを垂れ流すという、自己矛盾を演じているように見える。
これでは、まるで”映像の世紀バタフライエフェクの誤謬”とも言うべき、ブラックユーモアにさえ思える。
「映像の世紀バタフライエフェクト」シリーズは、当初の「映像の世紀」シリーズと比して、時として粗製乱造で玉石混交の観が以前からありました。今回もまたその思いを新たにすることとなりました。
最後に、この時期にこうした歪んだ内容の番組をあえて放送したいとについても触れておきます。勘繰るならば、戦争の泥沼化の主たる責任を特定の個人に押し付ける認識を広めることで、現下のウクライナ戦争におけるプーチンへの非難を増幅させる効果を見込んでいるようにも思えます(逆に、プーチン非難一色の世相に迎合した、とも考えられますが)。
それは、ウクライナ戦争の全体像を見失い、ウクライナ戦争の構造に目を向けるのを妨げることを意味しています。そして、今の世相を覆っている感情的、一面的認識を煽り、停戦に向けた対話の機運の醸成を遠ざけることでもあります。
そのように勘繰る理由の一つは、上記のNスペ『我々はなぜ戦争をしたのか』を制作したディレクター東大作氏のその後の功績(?)に触発されているからです。
東氏は、上記の平凡社ライブラリー本の序章などによれば、その後も数々のドキュメント番組で各種の賞を獲得した後にNHKを退社し、カナダの大学院に留学して国際紛争の調停活動の実態を究明する研究に取り組みます。その過程で国連本部や現地調査でアフガニスタンに通い、やがては2009年12月からアフガニスタンのカブールで「主に和解や再統合を担当する国連政務官として勤務」するという実践の場に移っています。
東氏がアフガニスタンでのこの職務に拘ったのは、紛争当事者たちが互いに「敵」をどれだけ認識しているかに疑問をもち、和解に向けて相互理解の場を作ることの意義と重要性を意識したからだと、説明してされています。そしてそうした意識に至ったのは、あのNスペの「制作を通じて得た、ベトナム戦争の当事者たちとの直接的なふれあいでした」というのです。
私(髙嶋)があのNスペに魅かれるのは、この東氏の”その後”を知ったからです。マクナマラは『マクナマラ回顧録―ベトナム戦争の悲劇と教訓』(1995年)でベトナム戦争はアメリカの犯した過ちだったとはっきり認めたことで、いわゆる左からも右からも厳しく非難・攻撃を受けます。それでも障害を超えて実現させた「対話」自体の存在とその内容を明らかにしたNスペの衝撃! そしてその後の東氏の想像を超える行動の実績。
今も教職の場にいたら学生に紹介して、「東氏の後に続こう!」と呼び掛けたい話題です。
それだけに、東氏のアフガニスタン行きのきっかけとなった「ハノイ対話」の意義についての思い入れが、わたしには強烈に今もあります。今回の番組『マクナマラの誤謬』の最後の部分はそうした私の確信に近い思い入れを、何の証拠も示さずに真っ向から否定しているものです。
可能であれば、今週7日(水)の再放送は止めたいくらいです。再放送では、私の指摘した部分などについて注目されることを期待しています。
*東大作(ひがし だいさく)氏については、ネットで検索して下さい。現在は上智大学に在職し、数々の著作を世に出し、ウクライナ戦争についても揺るがない見解を表明しています。
<DVD情報>
上記の<海外ドキュメント>『ベトナム戦争への道・3部作』(各50分、英国1999年制作、NHK2001年1月放送)とNスペ『我々はなぜ戦争をしたのか―ベトナム戦争、敵との対話』(1998年8月2日放送、60分)を、VHSテープから1枚のDVDに収録してあります(合計3時間30分です)。
このDVDの入手を希望される方は、なるべく個人メールで髙嶋宛に、「ベトナム戦争DVD」として、〒・住所とあて名をご連絡下さい。送料込みの実費として500円分を後日に図書カードかQUOカードなどで送って下さい。長時間版なので発送までに少し日数がかかります。
以上 髙嶋の極めて私的な見解を織り込んだNHK番組への批判です。ご参考までに。
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