「人は死なない」に関連することを、ゆる~いテーマ毎という感じで3回ほど書いてきた。#4では、特にテーマはなく、後々思いついたことや考えたこと脈絡もなく適当に書いてみようと思って書き始めた。そうしたら、これが予想以上に大変だった。書けば書くほどわからないことが出て来ていろいろ調べる羽目になり、こんなに時間がかかってしまったw。しかも、書いてるうちに「自分は一体何を言いたいんだろう」状態になり、悪戦苦闘。そして、なんとかかんとか書き終えたのがこの記事。
と言う訳で、何が言いたいのかよくわからない内容になってますし、めちゃ長くなってしまいましたが、もしよろしければ読んでみて下さい。
今回はまず儂の体験談から。
自慢じゃないけど、儂は決して霊感が強い方じゃない(と思う)。そんな儂でも、これだけ生きてると「不思議だ」と思ったことが何回かはある。
直近では、母親の元家の片付けをしてた時のこと。
元家には、儂が子供の頃からあった大きなお仏壇があり、そこにご先祖様方のお位牌が祀ってあった。母親は施設に入ったのでお仏壇も小さなものに買い替えなくてはならなかった。そして、新しく買ったお仏壇が届く前に、いくつかのお位牌を母親の施設に持って行った。でも、その時は他の荷物もあったりして一度には持って行けなかったので、とりあえず先に大きなお位牌だけを持って行った。
そしてその夜のこと、寝ていた儂の上に何かが覆いかぶさってきたような重さを感じ、目が覚めた。周りを見回しても暗くてよく見えない。重い感じもそのままで身動きが取れない。「もしかして金縛りか?」と思い、何回かもがくようにして上に乗っている何かを跳ねのけようとした。そうしたら、フッと普通の状態に戻った。
儂は今まで金縛りのようなことはほとんど経験したことがなかったので、翌朝、この事がとても気になった。そして頭に浮かんだのがお位牌のこと。お位牌の中には父の両親が一緒になっている大きいものと、子供の頃になくなった父の兄と姉(つまり儂の伯父と伯母)が一緒になっている小さなものがあった。前日には両親の大きなお位牌だけ持って行って、伯父と伯母のお位牌は元家に置いたままにしてきた。お位牌を持って来る時には特に何も考えず、大きさだけで分けて持って来た。でも、伯父と伯母の物を残して来たことははっきりと覚えていた。そして、「もしかしてそれが原因か・・・」と思った。両親と離れ離れにされた伯父と伯母が寂しがったのかなと思った。その日、すぐに元家に行って残りのお位牌を施設に持って行った。その夜以降は同じことは起こらなかった。
そして次は儂が浪人生の時のこと。夜中に自分の部屋で受験勉強をしてたら、突然、自分の右後ろ上方から「XXくん」(XXは儂の下の名前)と言う女性らしき声が聞こえた。びっくりして思わず声がした方を見たんだけど何もなかった。この時はテレビもラジオもレコード(まだそう言う時代w)も、音のするものは何もつけてなかった。また、よく椅子なんかがキーキー音を立てることもあったりするけど、そんなことも一切なし。とにかくこの時はただひたすら静かに問題集に向かっていただけ。
この後、しばらく茫然と考えてたんだけど、特に気持ちが悪いとか怖いとか言った感覚はなかったことを覚えてる。そして、儂のことを「XXくん」と呼ぶ女性の声っていったい誰かなと考えてみた。思い当たるのは一人しかいなかった。それは母親の姉、つまり儂の伯母。伯母は儂が生まれてからずっと儂の事をそれはそれは可愛がってくれて、儂も母親のように伯母に懐いていた。ところが、伯母は儂が小学生になるかならないか位の頃に自死してしまった。ただし、儂はまだ小さかったので詳しいことはほとんど覚えていない。
これ以外にもいくつかあるんだけど、それはみんなワン様絡みの事。その中で一番衝撃だったのは、あと一歩で火事になったかもしれないという状況から間一髪救われたこと。ただ、儂はワン様絡みのこういう事は表立って言いたくないので、この話しはここまでにしておく。これって、#2で書いた、霊媒者の人が自分の霊能力のことは長い間口外することがなかったというのと、もしかしたら似たような感覚なのかなと思った。
儂が体験した「声が聞こえた」や「人を見た」(儂はこの体験はない)といったことは、この本にも記述がある。
著者は山をやる人らしく2度の滑落事故を起こしたとのこと。そして、2度目の事故の後、「もう山には来るな」というこだまのような声をはっきりと聞いたと書いている(P.118)。
また、著者はラインホルト・メスナーという登山家の話も書いている。
彼は1980年に人類初のエヴェレスト単独登頂に成功したとき、以下のような体験をしたと言っています。「極限の疲労感の中で雪の上に一人で横たわっていると、突然自分の横に少女が座っているのに気付きました。自分が話しかけるとその少女ははっきりとした声で答えました。~中略~ 僅かに残った理性で否定しようとしても、彼女は語りかけてきました。~後略~(『地球交響曲第一番』)」第三章「非日常的な現象」三の「メスナーの不思議な体験」(P.102)
なお、このメスナーについては、#2で書き忘れたんだけど、体外離脱のことも書いているので、ここで書いておく。
メスナーは、ディアミール壁を下降中に800m墜落した時、自分の体から魂が離脱したことを意識し、自分の体が山を転がり落ちていくところをはっきりと目のあたりにして、もう一人の冷静な自分がいることに気付いたと言っています。「人間は実は二つの違う次元を生きている。その一方は、ふだんは見えない。~後略~」と述べています(『地球交響曲第一番』)。また、多くの墜落体験に関する調査でも、まったく同じような体外離脱体験が報告されています(ラインホルト・メスナー『死の地帯』)。第三章「非日常的な現象」三の「メスナーの不思議な体験」(P.99~)
この「人間は実は二つの違う次元を生きている」は、もしかしたら#3でママが言っていたことと同じなのかなとも思った。
また、第四章「『霊』について研究した人々」(P.154)の最初には、
霊魂、霊的現象、霊についての理念、それらの研究を総称して、欧米ではスピリチュアリズムと呼んでいます。
と書かれている。
つまり、霊魂等のことを考えたり解明したりするのは、現時点ではスピリチュアリズムということになるんだろう。現在の科学ではとても太刀打ちできないもんねw。
そしてこう続く。
スピチュアリズムは、超越的、絶対的意思(摂理)とそれに導かれる霊魂の存在を信じるという点において、既存の宗教と共通した側面を持っています。しかし、スピリチュアリズムは特定の宗教に基盤を置くものでなく、~中略~ また、より広い普遍性、共通性を志向し、霊魂の存在を科学的に証明しようとする点でも、既存の宗教と際立った違いがあります。~中略~欧米において近代スピリチュアリズムを主導したのは、後述するスウェーデンボルグをはじめ、ノーベル賞科学者を含む第一級の自然科学者だったという事実には興味深いものがあります。確かに、スピリチュアリズムは、心理学、宗教学、文化人類学、医学、そして近年では量子物理学まで動員した研究といえます。ただ、その背景には欧米における強固なキリスト教的価値観の伝統があったことは否めません。また、近代スピリチュアリズムは、東洋思想、特に古代インド宗教や仏教の経典からも多大な影響を受けています。~後略~第四章「『霊』について研究した人々」一の「宗教とスピリチュアリズム」(P.155~)
さらにこの章の「スピリチュアリズムにおける霊魂と体の概念」のところで、著者が霊魂と体の関係をわかりやすく書いている(P.158~)ので、それを箇条書きでまとめてみた。
- 人間はコンピューターを内蔵した着ぐるみのようなもので、電源を持った魂がコード(近代スピリチュアリズムではシルバーコードと呼ばれている)で着ぐるみと繋がっている。
- 魂はシルバーコードを介して電気を流し、着ぐるみやコンピュータを操作したりメンテナンスをしている。
- 着ぐるみが肉体、コンピューターが脳、魂によるコンピュータの活動が精神あるいは心。
- 魂は他の魂や霊と交感することができる。お互いの姿も見えるし声も聞こえるし、自由に空間を移動できる。ただし、着ぐるみをまとうとこれらの能力は封じられる。「霊感、霊力が強い人」は着ぐるみをまとっても魂の機能が顕れる人。
- 着ぐるみはそれだけでは動かず、魂が電源を入れて動かす。
- 体外離脱とは、着ぐるみを動かす魂がシルバーコードを切らずに着ぐるみを脱いだ状態。
- 死とは魂がシルバーコードを切って着ぐるみを捨ててしまった状態。魂を失った着ぐるみ(死体)は朽ち果てていくだけ。
これを読んで、儂、なんかちょっと「マトリックス」みたいだなと思ったw。同時に、本当にこの通りだったら面白いなと。いや、本当かもしれないけどw。
著者も書いているように、この類の話にはどうしても宗教が影響する。特にキリスト教の影響がかなり大きいと儂も思う。
儂の関心事は人間の霊と同じく、いや、むしろそれ以上に動物の霊のこと。でも、これにキリスト教的な考えが入り込むと、どうしても儂には納得がいかなくなってくる。例えば#1で書いたシルバー・バーチの霊訓。これ、是非読んでみていただきたいと思うんですわ。確かにここにはキリストのキの字も出て来なくて、ただ「神」とあるだけ。でも、どう考えてもこのベースはキリスト教、あるいはユダヤ教じゃないのかな。
儂は、例えば、「神が人間に動物を支配する権利を与えた」とか「人間と動物は違う」とか言ったキリスト教的な考えにはかなり違和感がある。そして、こういう考えがベースにあると、どうしても人間の霊>人間以外の動物の霊ってなるんじゃないのかなと。儂は、キリスト教にしてもユダヤ教にしてもまったく詳しくないので、見当外れなことを言っていたら大変申し訳ない。そう思っていろいろググっていたら、こんな記述も出て来てちょっとびっくり。聖書では何も触れられてないけど、聖書の諸書の一つにはこんなことが書いてあるらしい。もうどなたか、キリスト教やユダヤ教に詳しい方がいたら教えて下さいっていう感じw。なお、このWikiには他にも興味深いことが書かれているので、是非全部読んでいただきたい。だた、ここに書いてある「スピリチュアリズムにおける動物霊」は、儂的には違和感の塊だけどねw。
もし、霊魂のようなものが本当に存在しているとしたら、儂には人間の霊魂だけが特別とは到底考えられない。もちろん合理的な理由はない。儂はこの宇宙を創ったのは摂理だという考えには異論はない。でも、その摂理は宗教的な意味での“神”ではないと思う。著者も書いているように、もっと普遍的なもののはず。だから、人間だけを特別扱いするなどとはとても思えない。
でないと、今考えられている宇宙や地球の成り立ちとまったく合致しないんじゃないかなとも思う。太陽系や地球ができたのは45億年前であり、宇宙ができたのは138億年前。そして地球上にホモサピエンスが現れたのは30万年前。旧約聖書で触れられている人類誕生がこの頃のことだとしても、例えば、旧人類が現れた頃のことや、恐竜のことは触れられていないんじゃないかと思うんだけど、それはなんで?
という話をママにしたら、「科学的な知見とキリスト教やユダヤ教を同一次元で考えるのはまったく無意味。」と一言で片づけられてしまったw。確かに仰る通りwww。ま、儂は科学主義からは抜けられないということねw。
あと、この本ではもちろん頷けることは多々あった。でも、儂の考えとは違うなと思ったこともいくつかあった。
そのうちの一つがこれ。
この全的な創造とその運用を司る大設計者、すなわち摂理の存在を甘受できるのは人間だけであり、人々は遥かなる昔からその存在を知っていました。第五章「人は死なない」一「摂理と冷静」の「摂理」(P.194)
この、「摂理の存在を甘受できるのは人間だけ」というところに違和感を覚えた。儂は、逆に人間以外のすべての生物にとって、このことは至極当然のこと、つまり、わざわざ甘受するまでもないことなことなんじゃないのかなと思う。もちろんこれにも合理的な理由などないけど。
ここまで、この本はもちろんいろいろなサイト等を斜め読みしてきて、今のところ、霊魂や霊的な現象について儂的に一番しっくりきてるのは、前述したメスナーの言う、
「人間は実は二つの違う次元を生きている。」
ということかな。
もしかしたら二つではなくそれ以上なのかもしれないけど、それはともかく、体外離脱についてはかなり説明がつくように思うし、霊というのも、もしかしたらこの別次元の自分なのかなと思ったりする。
それに、これだと量子力学の「多世界解釈」にも当てはまる?なんてこともちょっと思った。いやいや、これは違うな。安易にこういうことを言うのは「スピリチュアリズム」ではなくただの「スピリチュアル」だw。
最後に、儂が斜め読みしたサイトのいくつかを貼っておく。
まず、これは著者自身が書いているもの。
そして、仏教のことを少しだけ。今の仏教が霊魂についてどう考えているのかは#1でリンクした通り。そして、↑ のサイトの中でも触れられている輪廻転生なんだけど、実は輪廻するのは霊魂ではない。「え?」と思われる方も多いかもしれないけど、私は、このサイト(↓)に書いてあることが正しいと考えている。と言うか、そのように学んだ。
このサイト、輪廻のことがとてもわかりやすくかかれているので、読んでみていただきたい。
それと、これは今回のこととは少しずれるんだけど、わりと面白かったのでついでに貼っておく。
この続きは気が向いたらまた書くかもしれないけど、予定は未定。