「戦闘1日4時間休止」
米政府は9日、イスラエル軍が地上侵攻を強めるパレスチナ自治区ガザ北部で民間人非難のため1日4時間の戦闘休止時間を設け、北部から南部に移動するための「人道回廊」を2ヵ所に設置すると発表した。(11月11日付神奈川新聞第三面)
儂、パレスチナとイスラエルの戦闘について、このブログに何回かちょっとだけコメント程度のことを書いた。前述のようにやっとやっと戦闘休止の話が出て来たみたいだし、今日はあらためて書いてみようと思う。
これまで、ひたすら「戦争なんかやめろ!」と思ってた。もちろんその気持ちは変わってない。
でも、儂、中東の対立のことはアバウトには知ってたけど、きちんと勉強したことがなかった。ちゃんと書くためにはやっぱり本当のことを知ってないとダメだなと思ったので、ちょっとググってみた。本当は本を読む方がいいんだけど、最近はついついお手軽に走ってしまう(イカンゾイカン。
まず、そもそも中東ってどこ?っていう話。こんなこともなんとなくしか知らなかった。
書き始めたばかりなのにいきなり話がずれるけど、儂、このWikiの「将来予測」の所を読んで愕然とした。
閑話休題。今回読んだ主なサイトはこれら。
儂、恥ずかしながら、「うーん、そうだったのかあ。。。」という感じだった。これらを読んで一番に思ったのは、今回の出来事は単純にどちらがいいとか悪いとかということじゃないなということ。それに、儂もそうなんだけど、多くの日本人にとって、特に感情的な部分ではなかなか理解できるようなことじゃないんじゃないかと思った。これには、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教という宗教が絡んでることも関係あるだろうけど、それだけじゃなくて、歴史も何もかもが儂らとは違い過ぎないか? 中東の歴史を読むと、日本はつくづく恵まれた国だなと思った。今更だけどねえ。
ちょっと前のNHK-TVの「クローズアップ現代」で、娘と息子がハマスの人質にとられているというイスラエル人の父親のことを紹介してた。この父親が「それでも休戦には反対だ。ハマスをせん滅した上で子供達を助けてほしい。」と言っていた。儂、この言葉は強烈に印象に残った。もちろんすべてのイスラエル人がそう思ってるわけではないだろうけど、多くの日本人にはとても言えることじゃないんじゃないのかな。
そして、一番の責任は、やっぱり欧米を中心とするいわゆる大国にあるんだなと思った。結局はこれらの国々が、自分達の利益だけを追求してきた結果が、今のこの状態なんだろうと思う。
この記事の最初に書いたことだって、アメリカ政府が発表したこと。これ、本当はおかしな話だと思う。当事者のイスラエル政府が発表するべきことじゃないのかな。でも、そのイスラエルはこれについて何も言ってないとか。もちろん、儂だってアメリカの支援があって戦争してることは知ってる。でも、そういうことが今のこの悲惨な状況につながってるんじゃないのかな。
と、今は責任とかそんなことを言ってるような時じゃなくて、とにかく戦争をやめることが先決。ただ、中東の歴史を考えるとそう簡単じゃないなと心底思う。おまけに、今回だって大国の身勝手な思惑やらなんやらが渦巻いてるからね。人道だのなんだのと言ってみても、所詮は自分達のことしか考えてないよね。日本もだろうけど。
でも、いつまでもこんなことが許されてていいわけないんだ。
もうこれは戦争ではなく、イスラエルの一方的な無差別攻撃、もっと言うとジェノサイドだよね。今回の事態が起きた最初の頃、イスラエル軍の報道官(?)が「最優先事項はハマスをせん滅することだ。」と言っていた。そのためにはあらゆる犠牲を厭わないということなんだろう。パレスチナ人がどうなろうと、ひいてはユダヤ人の人質が犠牲になっても、そんなことは些末なこと。ハマスをせん滅することだけが唯一絶対の目的なんだろうと思った。そして、実際、その通りになりつつある。
昨日のNHK-TVに、日本に住んでるイスラエルとパレスチナの人が出ていた。イスラエルの人は元イスラエル軍の軍人。その頃は、ユダヤ人やイスラエルという国を守るためには武力でパレスチナを叩くのは当たり前だと思っていたと。でも、日本に住んで日本で生活していてその考えが変わったと。対話で解決しなければいけないんだと思うようになったと。儂はこれを聞いて、日本てそれだけ平和なんだなと思った。「だから日本人は平和ボケなんだ」とか「現実を知らない」とか「頭がお花畑」とか言う人がいる。でも、いったいそれの何が悪いの? 頭がお花畑で何が悪いの? 戦争して人殺ししたいっていう人は別だけど、 戦争をしたくないんだったらひたすらそれを実現しようとするのが当たり前じゃないの?「現実があ」とか言ってたら何も変わらない。変わらないものは必ず滅びる。人間は万物の霊長と言うんだったら、四の五の言ってないでひたすら頭を使って理想を実現すべき。現実はこれこれだからできないじゃなくて、こうするって決めてそれを実現するんだよ。これは儂の持論。
と、また少し話がずれたけど、先の日本に住んでるパレスチナの人が、「今の戦争をやめさせるためには世界中の一人一人の力が必要。」と言ってた。儂もそうだなと思った。なにより大国の政府は自分達のことしか考えてないからまったくあてにならない。そういう政府を選んでるのも自分達だけどね。。。
国際社会がなんとかしないといけないと言われてるけど、この国際社会というのは各国の政府なんかじゃなくて、世界中の一人一人なんだと思った。でも、じゃあいったい何ができるんだろう、何をすればいいんだろう。儂にはまだそこまではわからない。
イスラエルには今すぐにでも攻撃をやめてほしい。でも、どうしたらやめるのか、やめさせられるのか。例えばアメリカが距離を置けばイスラエルも少しは考えるのか。もしそうなら、アメリカの世論がそっちに向かえばいいのか。でも、そんなことできるのか。。。
儂、最初にリンクしたNHKのサイトを読んだ時、真っ先にこれが思い浮かんだ。
「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われに打ち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、恨みはついに息むことがない。実にこの世においては、恨みに報いるに恨みを以てしたならば、ついに恨みの息むことがない。恨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。(岩波文庫 ダンマパダ 中村元訳 第1章 ひと組ずつから3と5)
だから、この先も、多分理屈だけじゃもうどうにもならないと思う。
そして、
すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。すべての者は暴力におびえる。すべての生き物にとって命は愛しい。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。(同上 第10章 暴力から129と130)
ちょっとググったんだけど、ユダヤ教やイスラム教にこういう教えがあるかどうかはわからなかった。でも、少なくとも「利他」という教えはあるみたいだった。そうであるなら、自国民や自分の国と同じように他の国やそこに生きる人々のことを考えるべきなんじゃないのかなと思う。
それと、ウクライナとロシアはまだ戦争してるのに、最近はほとんどパレスチナのことしか報道しなくなってる。こんなことでいいのかなあ。
とまあ、こういうことに関してまったくの素人が、にわか知識だけでただ思ったことを率直に書いてみた。
とにかく、戦争はやめようよ。失われるのは人間の命だけじゃないし、そもそも、もう人間同士で争ってる場合じゃないんだよ。もっとも、人間同士争って滅亡してくれれば、地球にとってはその方が良いのかもしれないけどね。