こんなに贅沢なひと時を味わってしまってよいのだろうか?
この日の感動を一言で言い表すのは難しいけれど、強いていえば、冒頭の言葉くらいしか思い浮かばないです。
早めについた会場の扉越しにリハーサルの音が漏れ聞こえてきたのですが、その豊潤さに驚かされ、期待は高まりました。
20名程の小さな集まり、小さな会場でのコンサートです。
2019年から縁あってお仲間に入れていただいた「演奏表現学会」でのレクチャーやコンサート、交流は、いつも大きな刺激と喜びがあるのですが、今回は格別でした。
御年83歳のヴァイオリニスト、ジェラール・プーレ氏。
その豊かなソノリティ、自然な演奏表現、そして何よりも魂に語りかけてくる音楽・・
何もかもが素晴らしかったです。
83歳で、ということもそうですが、その身体が意外なほど小柄だったことにも驚かされました。
扉の外から聞こえてきた音圧から創造していたのとは大違い。
腕も決して長くはなく、手も大きいという訳ではない。
なのに、演奏し始めると、その姿は目の前でブワーっと巨人になったようでした。
会長の小澤先生から「せっかく早くからきたんだから、一番前で聴きなさいよ~」とうながされるまま、ずうずうしくも最前列中央に陣取る。
遅れてやってきて、「ここしか空いてないね~」と隣に腰かけたのはピアニストの奈良康佑さんで、久々の再会です。
色々とお互いの近況報告の話をする間もなく、ドビュッシーのソナタが始まりました。
このソナタの初演はジェラール・プーレ氏のお父様であるガストン・プーレ。
それも作曲者ドビュッシーが自らピアノを弾いての初演。
そこに至るまでの宝石の様なストーリーもお話してくださったのですが、これがまた素敵。ドキドキワクワクしながら聞き入ってしまいました。
ガストン・プーレ氏は元々弦楽四重奏を組んで演奏活動をして、ドビュッシーの作品も演奏していたのですが、作曲家との交流はなかった。
そこで、ガストン・プーレ氏は、「せっかく作曲家が生きているのだから、助言してもらうのはどうだろう?」とメンバーと相談の上、「僕たちの演奏を聴いてくださいませんか?」とドビュッシーに手紙をしたためたそうです。
すると、なんと返信があり、ドビュッシーが会ってくれることになり、彼の家に招かれたのでした。
ドビュッシーはずっとクールな様子で、演奏が終わっても何も言わないまま。
勇気を出してプーレ氏が「どうでしたか?」と聞くと
その演奏も自分のイメージしたものとは違う、と言いつつも、彼等に多くの助言をして、最後はうち解けてきたそうです。
1916年頃の出来事。
ドビュッシーは当時、既に癌を患っていて体調もすぐれなかったそう。
そして、この出会いの後、しばらくして、今度はドビュッシーからガストン・プーレ氏に手紙が届き、
「今、ヴァイオリンとピアノのためのソナタを書いているのだが、それをあなたに見てもらいたい。よろしければ来てください。」
こうして、ドビュッシーの求めに応じ、技術的に弾きにくい箇所や、よりヴァイオリンが鳴る音域などの助言をし、ソナタが完成したのだそうです。
そしてドビュッシーが手術をして小康を保っていた1917年5月5日、ガストン・プーレ氏とドビュッシー自身のピアノによって、初演されました。
その後1918年、ドビュッシーは逝去。
ガストン・プーレ氏は25歳、ドビュッシーは55歳でした。
こんな奇跡の物語のようなお話をうかがうだけでもため息ですが、その父から息子に伝えられた、まさにプーレ家伝来の家宝とも言えるこのヴァイオリンソナタは圧巻でした。
それに続いてフランクのヴァイオリンソナタ。
こちらも本当に素晴らしかった。
フルートでもよく演奏される作品で、私も何度か演奏したことがありますが、「フランスの作品」ということを再認識させていただけた。
アンコールではスメタナの「我が故郷」。
耳に故障を抱えたスメタナの最後の作品は、それまでのフランスものとはがらり、と音色も変化し、素朴な音楽への回帰の無邪気な喜びも感じられる演奏でした。
最前列で、もう1メートルも離れていない場所で聴かせていただけたこともあり、ジェラール・プーレ氏の息遣い、細やかで自然な動き、そして空気を伝わって肌にまで感じる音圧など、存分に堪能できました。
コンサートホールなら後ろに腰かけるのが常ですが、天上も低く小さな会場だったので、勧められたまま最前列にしましたが、本当に良かったです。
ドビュッシーに信頼されたヴァイオリニストである父の演奏とその演奏する姿にずっと触れて、かつヴァイオリニストとなるべく稽古を重ねてきたジェラール・プーレ氏の演奏は、久々に生で聴けたとびきりの天然もの。
その父からの教えは
「あなたの心の中に感じるものがあるか、ないか」
それを表現できることこそが、最も重要なことであるということ。
またジェラール・プーレ氏の言葉として
「フランス音楽とは、いつも何かしらの魅力を探している様な音楽。」
「その人の心の中から出すことが大切。自発的なものであること。」
「フランスのエスプリ・・魂を持てば必ずわかる」
これらの言葉通りの心の奥底からの演奏でした。
・・・・・・
氏の左手の動きから親指に関してのヒントをいただいた。
またヴァイオリニストのヴィブラートは目で見ることも出来るので、こちらもとても参考になった。
右手の弓の動きはブレスコントロールに通ずる。
氏の右手の弓を操る動きを見て、ふと、抜刀されている甲野先生の姿が浮かんだのでした。
この日の感動を一言で言い表すのは難しいけれど、強いていえば、冒頭の言葉くらいしか思い浮かばないです。
早めについた会場の扉越しにリハーサルの音が漏れ聞こえてきたのですが、その豊潤さに驚かされ、期待は高まりました。
20名程の小さな集まり、小さな会場でのコンサートです。
2019年から縁あってお仲間に入れていただいた「演奏表現学会」でのレクチャーやコンサート、交流は、いつも大きな刺激と喜びがあるのですが、今回は格別でした。
御年83歳のヴァイオリニスト、ジェラール・プーレ氏。
その豊かなソノリティ、自然な演奏表現、そして何よりも魂に語りかけてくる音楽・・
何もかもが素晴らしかったです。
83歳で、ということもそうですが、その身体が意外なほど小柄だったことにも驚かされました。
扉の外から聞こえてきた音圧から創造していたのとは大違い。
腕も決して長くはなく、手も大きいという訳ではない。
なのに、演奏し始めると、その姿は目の前でブワーっと巨人になったようでした。
会長の小澤先生から「せっかく早くからきたんだから、一番前で聴きなさいよ~」とうながされるまま、ずうずうしくも最前列中央に陣取る。
遅れてやってきて、「ここしか空いてないね~」と隣に腰かけたのはピアニストの奈良康佑さんで、久々の再会です。
色々とお互いの近況報告の話をする間もなく、ドビュッシーのソナタが始まりました。
このソナタの初演はジェラール・プーレ氏のお父様であるガストン・プーレ。
それも作曲者ドビュッシーが自らピアノを弾いての初演。
そこに至るまでの宝石の様なストーリーもお話してくださったのですが、これがまた素敵。ドキドキワクワクしながら聞き入ってしまいました。
ガストン・プーレ氏は元々弦楽四重奏を組んで演奏活動をして、ドビュッシーの作品も演奏していたのですが、作曲家との交流はなかった。
そこで、ガストン・プーレ氏は、「せっかく作曲家が生きているのだから、助言してもらうのはどうだろう?」とメンバーと相談の上、「僕たちの演奏を聴いてくださいませんか?」とドビュッシーに手紙をしたためたそうです。
すると、なんと返信があり、ドビュッシーが会ってくれることになり、彼の家に招かれたのでした。
ドビュッシーはずっとクールな様子で、演奏が終わっても何も言わないまま。
勇気を出してプーレ氏が「どうでしたか?」と聞くと
その演奏も自分のイメージしたものとは違う、と言いつつも、彼等に多くの助言をして、最後はうち解けてきたそうです。
1916年頃の出来事。
ドビュッシーは当時、既に癌を患っていて体調もすぐれなかったそう。
そして、この出会いの後、しばらくして、今度はドビュッシーからガストン・プーレ氏に手紙が届き、
「今、ヴァイオリンとピアノのためのソナタを書いているのだが、それをあなたに見てもらいたい。よろしければ来てください。」
こうして、ドビュッシーの求めに応じ、技術的に弾きにくい箇所や、よりヴァイオリンが鳴る音域などの助言をし、ソナタが完成したのだそうです。
そしてドビュッシーが手術をして小康を保っていた1917年5月5日、ガストン・プーレ氏とドビュッシー自身のピアノによって、初演されました。
その後1918年、ドビュッシーは逝去。
ガストン・プーレ氏は25歳、ドビュッシーは55歳でした。
こんな奇跡の物語のようなお話をうかがうだけでもため息ですが、その父から息子に伝えられた、まさにプーレ家伝来の家宝とも言えるこのヴァイオリンソナタは圧巻でした。
それに続いてフランクのヴァイオリンソナタ。
こちらも本当に素晴らしかった。
フルートでもよく演奏される作品で、私も何度か演奏したことがありますが、「フランスの作品」ということを再認識させていただけた。
アンコールではスメタナの「我が故郷」。
耳に故障を抱えたスメタナの最後の作品は、それまでのフランスものとはがらり、と音色も変化し、素朴な音楽への回帰の無邪気な喜びも感じられる演奏でした。
最前列で、もう1メートルも離れていない場所で聴かせていただけたこともあり、ジェラール・プーレ氏の息遣い、細やかで自然な動き、そして空気を伝わって肌にまで感じる音圧など、存分に堪能できました。
コンサートホールなら後ろに腰かけるのが常ですが、天上も低く小さな会場だったので、勧められたまま最前列にしましたが、本当に良かったです。
ドビュッシーに信頼されたヴァイオリニストである父の演奏とその演奏する姿にずっと触れて、かつヴァイオリニストとなるべく稽古を重ねてきたジェラール・プーレ氏の演奏は、久々に生で聴けたとびきりの天然もの。
その父からの教えは
「あなたの心の中に感じるものがあるか、ないか」
それを表現できることこそが、最も重要なことであるということ。
またジェラール・プーレ氏の言葉として
「フランス音楽とは、いつも何かしらの魅力を探している様な音楽。」
「その人の心の中から出すことが大切。自発的なものであること。」
「フランスのエスプリ・・魂を持てば必ずわかる」
これらの言葉通りの心の奥底からの演奏でした。
・・・・・・
氏の左手の動きから親指に関してのヒントをいただいた。
またヴァイオリニストのヴィブラートは目で見ることも出来るので、こちらもとても参考になった。
右手の弓の動きはブレスコントロールに通ずる。
氏の右手の弓を操る動きを見て、ふと、抜刀されている甲野先生の姿が浮かんだのでした。