10日間の長い旅とその最後となる屋久島での合宿を終えられて、一昨日、御帰京されたばかりの甲野先生。
「脳内麻薬が出ているので大丈夫です。」とは仰るものの、やはり心配ではありました。
しかし、屋久島で得られた新たな気付きのこともあり、より生き生きとむしろ若返っているのではないか?と感じられました。
屋久島の精気・精霊も先生と共に鶴見の会場にやってきたような感じもしました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(お話と技)
二か月前、ここで剣道雑誌の取材を受けたけれど、おそらくあまりに通常の基本からはかけ離れている内容だったので、多分使われることなく終わるのでは、と思っていたが、それが記事になり、この25日に発売されるという連絡を受けた。
編集側も、頭を抱えていたそうだが、剣道界も斜陽なこともあり、敢えて「踏み込んで」よく記事にしたなあと思う。
昔から結果として常に少数派になっていた。
一番伝えたいところが、常識とあまりに違うことに去年の11月に気付き、その後三か月くらいは混乱していたが、ようやく今、半年程経って落ち着いてきた。
一昨日まで10日間の旅で、その間も1,2時間しか寝ていない日が4日あったが、脳内麻薬でもっている。
特に屋久島での気付きが大きかった。
一番始めは通常のやり方で、離して持っていたのを2008年5月31日以降か、ずっと寄せて持つようになった。この時はもう30分程で、変化した。
それ以来、ずっと寄せて持っていた。
それが昨年11月から離して持つようになった。
(とはいっても最初の離して持つ持ち方とは違って)両手で持っているけれど、実質動かすのは片手ではないか、とやってみたら「なるほど、そうか!」とわかってきた。
4月16日、屋久島で初めて竹刀で離して持った影抜きが出来るようになった。
通常剣道の基本は決まっていて、両手を茶巾絞りで持ち助け合って使うというもの。
しかしこれだと、30年の経験者と3日目の経験者で打ち合っても切り結べるばかりで、初心者であっても、打ち崩されない。
(左右の手が協力し合うからそうなる)
右が主で、左が手伝わない。
左はナゾ。
左は右と刀を一体化させるようにだけ使う。
掌の上でバランスを取るような感じ。
左はそれだけに使うべき。
左小指が外れて包み込むように、右人差し指がつばに触れる様に持つ。
こうしたことがようやくわかってきた。
(こうなってくると)ものを学ぶという学び方はつくづく微妙な使い方があるとわかって、今更の様に「まず基本が如何に大事か」などとは、とても微妙な感覚なだけに言えない。「基本が大事」とは簡単に言えない。
これが今回の実感。
オランダ語などは、とても発音しにくく、ゴッホというのも、喉が痒くなるなるくらいの発音をしなくてはならないらしい。しかしそういう発音も、その環境の中に居れば自然に出来るようになる。
言葉で「基本」を伝えるせいで、いろんなことがだめになっている。
言葉で言って、それを真似る中で大事なものが失われている。
「教え方」はもっと工夫されるべき。
2020年2月に出た『巧拙無二』で職人の教え方の話がある。
一切やり方を教えず、ダメ出ししかされない。
ただ。その雰囲気の中で居る。
技の基本になることは言わない。
自分の周囲の稽古人の数名で抜群になった人はみな、その人の基本原理からして違う。
「ふんばらない」「蹴らずに動く」は共通しているが、皆夫々の別流派。
無文字文化圏の人は記憶力が良く、見取り能力に優れている。
カナダのネイティブ、アボリジニなど、助手席に座って3日もすると運転できるらしい。
文字がない方が感覚に入れられる。
・・・・・・・・・・・・・・・・
(竹刀で打ち合いながら)
通常のやり方であれば、止まるのが当たり前。
それが、右手を刀とどう一体化させるか、と左の小指を外しを「厳則化」。
空手の助け合い(内助の功)の手は、今の(男女平等の)ものとは違う。
(男女の役割がはっきりしていて)男性が台所に立ち入ることもいけないとされていた時代のもの。
どこかにある「助け合いの精神」を辞めるとわかりやすい。
(払えない手で)
人は何を見ているか?
触れられた瞬間にわかる。
「斬る」はなるべく抵抗のない世界。
これを相手はなるべく力を抜いてさぐる。
「止め手」でなく「斬り手」で。
全ての動きで円を描いて。
「こんな処に隠し部屋があったのか?」という気持。
(相手を制す手のうち取りで)
楽器演奏での音を出す前の手の置き方にも通じる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(個別指導)
1.ピアノ
速いパッセージが動かしにくい。特に左手。
指紐で動きが軽くなり変化。
2.ヴァイオリン
長い音を出す時の助言が欲しい。
滅多に呼吸に関しては言わないのだが、これには、とても呼吸が関わっている。
ピタっと保には呼吸の関わりが重要。
息を鼻から出す。口からがダメなのは明らか。
右手をどうこうするというよりも鼻奥と喉の息の連絡がピタっと行くと良い。
3.琉球三線と歌
力まないで歌いたいし、弾きたい。
左右の指紐。巻いた瞬間からラクになったそう。
チューニング音から激変。
4.剣道での疑問
小学生の頃、習っていたが、一人の老師だけは、いつでもすぐにこちらのやろうとすることを全て読み、いつも打たれてしまっていた。これは何故か?
人は相手がどう思っているかわかる。
如何に自分のやろうとする感じを無くすかが大事。
5.江平(えだいら)の笛 白川受講
フルートでは起きない質の緊張が生れ、震えてしまう。
練習の時にはそれはなく、人前に立った時だけ。
また、当て位置が定まらず、毎回構え方の試行錯誤で苦労している。
階段を使ってタタタっと二段程駆け下りるような所作で、最後の足を付けないようにするのを4,5回繰り返す。
やった瞬間から肩の位置が落ち、安心感が戻る感覚に。
当初程の震えはないものの、やはり徐々に震えが生れ納得のいかないものに。
左右の首に祓い太刀
ストンとより落ちて、より響きは増すものの、まだ課題は残る。
・・・・・・・・・・・
(時間が余ったのでさらに質問を受け付けて)
1.猫背をなんとかしたい。
鎖紐の四方襷をかけているその途中から、丸まっていた背中がスルルっと伸びてきて一同驚愕。
2.歩行にも差し支えるくらいの足の痛みをなんとかしたい。
両足指の紐で、スタスタと歩けるように。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(所感)
圧倒的なシーンの連続だった。
なんといっても、先生の技の進展の凄さが、見ているだけでも伝わってきた。
「これ、竹刀での打ち合いの光景じゃあないですよね。」と思わず言葉が出て来る程、切り結ぶことなく、足元から崩されていく相手。
その相手は、かなり様々な武術をやりこまれた手練れの常連Oさん。
また動きの解説をする時の先生の動き全てが、より滑らかに美しいものになっていて、目が離せなかった。
その気付きからも導きだされる感覚に基づいた個別指導の数々も、自身の参考になるものばかりだった。
また、最後の質問コーナーでの紐の効果にもびっくり。
まるでサクラを仕込んでいるのじゃないか?という程の、映画の1シーンのような情景。
長年、やってきたけれど、あれほど目で見ていてわかる違いがあったのは初めて。
さて、自身の江平の笛は、もうこれもボロボロで、ちょっと嫌なループに入ってしまった感はあるものの、大分、出口が近くなったのを感じることができたのは、先生のお陰。
控室で「まあ、あとは、これですかね!」と鎖紐を頭に巻くのをやってくださったところ、こめかみあたりがすっきりして、嘘のように、落ち着いた震えなしの演奏が。
見ていたスタッフの鈴木さんもびっくりで「すっと整いましたね!?」
人の心と体に作用する丸紐の力を改めて実感した今回でした。
ご参加くださった皆様、会場スタッフの皆様、スタッフの鈴木さん、そして甲野先生、
ありがとうございました!
次回は5月23日(火)に同会場同時刻で開催予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
「脳内麻薬が出ているので大丈夫です。」とは仰るものの、やはり心配ではありました。
しかし、屋久島で得られた新たな気付きのこともあり、より生き生きとむしろ若返っているのではないか?と感じられました。
屋久島の精気・精霊も先生と共に鶴見の会場にやってきたような感じもしました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(お話と技)
二か月前、ここで剣道雑誌の取材を受けたけれど、おそらくあまりに通常の基本からはかけ離れている内容だったので、多分使われることなく終わるのでは、と思っていたが、それが記事になり、この25日に発売されるという連絡を受けた。
編集側も、頭を抱えていたそうだが、剣道界も斜陽なこともあり、敢えて「踏み込んで」よく記事にしたなあと思う。
昔から結果として常に少数派になっていた。
一番伝えたいところが、常識とあまりに違うことに去年の11月に気付き、その後三か月くらいは混乱していたが、ようやく今、半年程経って落ち着いてきた。
一昨日まで10日間の旅で、その間も1,2時間しか寝ていない日が4日あったが、脳内麻薬でもっている。
特に屋久島での気付きが大きかった。
一番始めは通常のやり方で、離して持っていたのを2008年5月31日以降か、ずっと寄せて持つようになった。この時はもう30分程で、変化した。
それ以来、ずっと寄せて持っていた。
それが昨年11月から離して持つようになった。
(とはいっても最初の離して持つ持ち方とは違って)両手で持っているけれど、実質動かすのは片手ではないか、とやってみたら「なるほど、そうか!」とわかってきた。
4月16日、屋久島で初めて竹刀で離して持った影抜きが出来るようになった。
通常剣道の基本は決まっていて、両手を茶巾絞りで持ち助け合って使うというもの。
しかしこれだと、30年の経験者と3日目の経験者で打ち合っても切り結べるばかりで、初心者であっても、打ち崩されない。
(左右の手が協力し合うからそうなる)
右が主で、左が手伝わない。
左はナゾ。
左は右と刀を一体化させるようにだけ使う。
掌の上でバランスを取るような感じ。
左はそれだけに使うべき。
左小指が外れて包み込むように、右人差し指がつばに触れる様に持つ。
こうしたことがようやくわかってきた。
(こうなってくると)ものを学ぶという学び方はつくづく微妙な使い方があるとわかって、今更の様に「まず基本が如何に大事か」などとは、とても微妙な感覚なだけに言えない。「基本が大事」とは簡単に言えない。
これが今回の実感。
オランダ語などは、とても発音しにくく、ゴッホというのも、喉が痒くなるなるくらいの発音をしなくてはならないらしい。しかしそういう発音も、その環境の中に居れば自然に出来るようになる。
言葉で「基本」を伝えるせいで、いろんなことがだめになっている。
言葉で言って、それを真似る中で大事なものが失われている。
「教え方」はもっと工夫されるべき。
2020年2月に出た『巧拙無二』で職人の教え方の話がある。
一切やり方を教えず、ダメ出ししかされない。
ただ。その雰囲気の中で居る。
技の基本になることは言わない。
自分の周囲の稽古人の数名で抜群になった人はみな、その人の基本原理からして違う。
「ふんばらない」「蹴らずに動く」は共通しているが、皆夫々の別流派。
無文字文化圏の人は記憶力が良く、見取り能力に優れている。
カナダのネイティブ、アボリジニなど、助手席に座って3日もすると運転できるらしい。
文字がない方が感覚に入れられる。
・・・・・・・・・・・・・・・・
(竹刀で打ち合いながら)
通常のやり方であれば、止まるのが当たり前。
それが、右手を刀とどう一体化させるか、と左の小指を外しを「厳則化」。
空手の助け合い(内助の功)の手は、今の(男女平等の)ものとは違う。
(男女の役割がはっきりしていて)男性が台所に立ち入ることもいけないとされていた時代のもの。
どこかにある「助け合いの精神」を辞めるとわかりやすい。
(払えない手で)
人は何を見ているか?
触れられた瞬間にわかる。
「斬る」はなるべく抵抗のない世界。
これを相手はなるべく力を抜いてさぐる。
「止め手」でなく「斬り手」で。
全ての動きで円を描いて。
「こんな処に隠し部屋があったのか?」という気持。
(相手を制す手のうち取りで)
楽器演奏での音を出す前の手の置き方にも通じる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(個別指導)
1.ピアノ
速いパッセージが動かしにくい。特に左手。
指紐で動きが軽くなり変化。
2.ヴァイオリン
長い音を出す時の助言が欲しい。
滅多に呼吸に関しては言わないのだが、これには、とても呼吸が関わっている。
ピタっと保には呼吸の関わりが重要。
息を鼻から出す。口からがダメなのは明らか。
右手をどうこうするというよりも鼻奥と喉の息の連絡がピタっと行くと良い。
3.琉球三線と歌
力まないで歌いたいし、弾きたい。
左右の指紐。巻いた瞬間からラクになったそう。
チューニング音から激変。
4.剣道での疑問
小学生の頃、習っていたが、一人の老師だけは、いつでもすぐにこちらのやろうとすることを全て読み、いつも打たれてしまっていた。これは何故か?
人は相手がどう思っているかわかる。
如何に自分のやろうとする感じを無くすかが大事。
5.江平(えだいら)の笛 白川受講
フルートでは起きない質の緊張が生れ、震えてしまう。
練習の時にはそれはなく、人前に立った時だけ。
また、当て位置が定まらず、毎回構え方の試行錯誤で苦労している。
階段を使ってタタタっと二段程駆け下りるような所作で、最後の足を付けないようにするのを4,5回繰り返す。
やった瞬間から肩の位置が落ち、安心感が戻る感覚に。
当初程の震えはないものの、やはり徐々に震えが生れ納得のいかないものに。
左右の首に祓い太刀
ストンとより落ちて、より響きは増すものの、まだ課題は残る。
・・・・・・・・・・・
(時間が余ったのでさらに質問を受け付けて)
1.猫背をなんとかしたい。
鎖紐の四方襷をかけているその途中から、丸まっていた背中がスルルっと伸びてきて一同驚愕。
2.歩行にも差し支えるくらいの足の痛みをなんとかしたい。
両足指の紐で、スタスタと歩けるように。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(所感)
圧倒的なシーンの連続だった。
なんといっても、先生の技の進展の凄さが、見ているだけでも伝わってきた。
「これ、竹刀での打ち合いの光景じゃあないですよね。」と思わず言葉が出て来る程、切り結ぶことなく、足元から崩されていく相手。
その相手は、かなり様々な武術をやりこまれた手練れの常連Oさん。
また動きの解説をする時の先生の動き全てが、より滑らかに美しいものになっていて、目が離せなかった。
その気付きからも導きだされる感覚に基づいた個別指導の数々も、自身の参考になるものばかりだった。
また、最後の質問コーナーでの紐の効果にもびっくり。
まるでサクラを仕込んでいるのじゃないか?という程の、映画の1シーンのような情景。
長年、やってきたけれど、あれほど目で見ていてわかる違いがあったのは初めて。
さて、自身の江平の笛は、もうこれもボロボロで、ちょっと嫌なループに入ってしまった感はあるものの、大分、出口が近くなったのを感じることができたのは、先生のお陰。
控室で「まあ、あとは、これですかね!」と鎖紐を頭に巻くのをやってくださったところ、こめかみあたりがすっきりして、嘘のように、落ち着いた震えなしの演奏が。
見ていたスタッフの鈴木さんもびっくりで「すっと整いましたね!?」
人の心と体に作用する丸紐の力を改めて実感した今回でした。
ご参加くださった皆様、会場スタッフの皆様、スタッフの鈴木さん、そして甲野先生、
ありがとうございました!
次回は5月23日(火)に同会場同時刻で開催予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。