6歳年の離れている弟・白川健一が9月26日11時22分、59歳で逝去しました。
2年前にSt.4の胃癌が発覚し、その後手術も成功し自宅療養していたのが、今年になり急激に悪化し転移が進んでしまいました。
9月に緩和病棟に移った時から覚悟はしておりましたが・・
葬儀は故人の意思で家族のみで9月30日に執り行いました。
夏までは毎月、ドライブがてら南足柄の弟夫妻と犬のジローを訪問するのが私達夫婦の楽しみでもありました。
9月になってからは毎週。
15日には「今日は調子が良いです。」と面白がって、教えてあげたスマホの録音アプリに話しかけていたのに、息子も伴い3人でお見舞いにいった24日には、既に薬による痛みの制御が追い付かないため、本人の希望でずっと薬で眠っていました。
弟の寝顔をじっくりと見たのは初めてでしたが、目元は母に、耳と口元は父に似ていることに気が付きました。
25日はジローとの面会が叶い、眠っている弟とジローのツーショット写真も。
ジローがちゃんと鼻先で挨拶しているのですが、心なしか弟の寝顔も微笑んでいるように和らいで見えました。
鶴巻温泉病院緩和病棟の皆様には大変お世話になりました。
とても良くしてくださり感謝しております。
そして26日11時に危篤の知らせを受け、その直後に、逝去したと義妹からの電話を受けました。
沢山の皆様に支えられて、子供の頃から大好きだった宇宙の仕事が出来た人生は幸せだったのではないか、と思います。ありがとうございました。
故人の意向で家族のみの葬儀とし、香典等のお気遣いは謝辞しております。
御知らせが遅くなりましたこと、御容赦ください。
ご縁のあった方は、ふと夜空など見上げた折に、思い出してやっていただけると嬉しいです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は元気にやっておりますのでご安心ください。
レッスン、音楽家講座等、ご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。
今は、こうして生かされている事に改めて感謝し、より、その時々を大切にしていきたいと思っております。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
・・・・・・・・・・・・・・・・
義妹が選んだ花。
義妹はずっと、はやぶさプロジェクトの時の昼夜逆転で、日々時間がずれていく、というハードな日常を支え、その後、心身の疲労から早期リタイアした弟の日常を支え、癌との闘病を支えてくれました。本当に感謝しています。
2年前にSt.4の胃癌が発覚し、その後手術も成功し自宅療養していたのが、今年になり急激に悪化し転移が進んでしまいました。
9月に緩和病棟に移った時から覚悟はしておりましたが・・
葬儀は故人の意思で家族のみで9月30日に執り行いました。
夏までは毎月、ドライブがてら南足柄の弟夫妻と犬のジローを訪問するのが私達夫婦の楽しみでもありました。
9月になってからは毎週。
15日には「今日は調子が良いです。」と面白がって、教えてあげたスマホの録音アプリに話しかけていたのに、息子も伴い3人でお見舞いにいった24日には、既に薬による痛みの制御が追い付かないため、本人の希望でずっと薬で眠っていました。
弟の寝顔をじっくりと見たのは初めてでしたが、目元は母に、耳と口元は父に似ていることに気が付きました。
25日はジローとの面会が叶い、眠っている弟とジローのツーショット写真も。
ジローがちゃんと鼻先で挨拶しているのですが、心なしか弟の寝顔も微笑んでいるように和らいで見えました。
鶴巻温泉病院緩和病棟の皆様には大変お世話になりました。
とても良くしてくださり感謝しております。
そして26日11時に危篤の知らせを受け、その直後に、逝去したと義妹からの電話を受けました。
沢山の皆様に支えられて、子供の頃から大好きだった宇宙の仕事が出来た人生は幸せだったのではないか、と思います。ありがとうございました。
故人の意向で家族のみの葬儀とし、香典等のお気遣いは謝辞しております。
御知らせが遅くなりましたこと、御容赦ください。
ご縁のあった方は、ふと夜空など見上げた折に、思い出してやっていただけると嬉しいです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は元気にやっておりますのでご安心ください。
レッスン、音楽家講座等、ご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。
今は、こうして生かされている事に改めて感謝し、より、その時々を大切にしていきたいと思っております。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
・・・・・・・・・・・・・・・・
義妹が選んだ花。
義妹はずっと、はやぶさプロジェクトの時の昼夜逆転で、日々時間がずれていく、というハードな日常を支え、その後、心身の疲労から早期リタイアした弟の日常を支え、癌との闘病を支えてくれました。本当に感謝しています。
初代『はやぶさ』の記念の額。
甥である息子に譲られました。
共感賛同していた池田清彦先生、西條剛央さん達の『構造構成主義』の本。
弟による「エンジニアによる構造構成主義の解説図」も掲載され喜んでいました。これは棺の中に。