『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

2025年1月20日(月)イムディーナ・ラバト

2025-02-01 16:18:23 | 旅行
本日も良いお天気となりました。
朝食時に、すっかり打ち解け仲良くなった今回のツアーの皆様殆どがイムディーナに行くということがわかり、それなら行きのタクシーはシェアしましょう、ということになり、夫と、若手代表40代のNさんのご主人が夫々初めてタクシーアプリ・ボルトに挑戦。
使い方は、添乗員のKさんに教わり、見守っていただけたお陰で、二人とも無事成功し、5分程で、8人乗りのタクシー2台がやってきました。

もし17日が悪天候でなければ、二人だけで行っていたので、これもいわば天の采配。車中のお喋りも楽しく20分弱でイムディーナに。
バスで道中楽しみながら、というのも良いけれど、それだと1時間程かかってしまうし、座れるとは限らないので、良い選択でした。

朝9時には着いていたかも。
「オールドシティー」とも呼ばれ、16世紀にはバレッタに先立ち首都がおかれていた都です。現在では「静寂の街」とも呼ばれています。
・・とはいえ、オフシーズンでも私達も含め観光客は一杯で、中々の賑やかさ。

バロック様式の同道としたメインゲートには狛犬の様にライオンの像も控えています。そこをくぐって入場。


入場してすぐ左手に有名なイムディーナガラスの大きなショップがありもう開店していたので、夫を外に残してササっと入る。
特に何も買わなかったのですが、店主は感じ良かった。
2階の窓からの景色も素敵でした。

その後、紀元前4世紀からの起源をもつという大聖堂に。




どれも格調高く、素晴らしかったが、偶然見つけた入口付近のベンチの下にあったモザイクに釘付け。




・・・猫?・・・??
違うかもしれないが、どう見ても私には猫にしか見えない。その上、フサフサ尻尾、若干筋肉質なところろ、凛々しいお顔、とピピにそっくりでした。

向かい側にある大聖堂博物館も素晴らしかった。
デューラーの銅版画が沢山展示されていて、素晴らしかったです。
アダムとイブがかなりの筋肉質なのにも驚いた。
更には1964年にマルタ共和国の国歌となった曲の楽譜とその作曲者・作詞者に関する展示も。






http://www.kokkanowa.net/malta/

「マルタ共和国」となるまでの強国に翻弄された激動の歴史に思いを馳せた。

その後は様々な路地を歩きまわり、疲れたら階段に腰を下ろして日光浴。



11時を過ぎたところで、カフェ・フォンタネッラへ。
見晴らしの良いテラスで自家製のチョコレートケーキを食べる、というのも今回のミッションの一つ。
お昼時になると混むし、ランチを食べてからだと、とてもここの大きなケーキは食べられないと思い、変則的ではありますが、ケーキをランチ代わりにしてしっかり食べることに。

イムディーナの人気の有名店だけあって、既にテラスは沢山の人が。
でも幸運なことに一か所空いていて、そこでミッションを果たすことができました。すぐそばまで雀がやってきて、ケーキの屑をねだるように啼いている。
ケーキはオレンジフレーバーチョコレートと、レモンメレンゲの2つ。
見ての通りの大きさですが、意外にスルっとお腹に収まり、とても美味しかったです。


広々と見渡せるテラスからの景色

その後は路地を歩き回り、落ち着いた雰囲気のお土産物屋さんで、マルタストーンの小物入れ5€やタイル4€など買い、隣接している街・ラバトへ。

かつて首都であったイムディーナには貴族たちの屋敷が立ち並び活気もあったが、城壁内のイムディーナの街に死者を葬ることが禁じられていたため、ラバトには地下墳墓が多く出来、いわばラバトは死者の為の街だった。
それが今ではイムディーナの方が「静寂の街」と言われるようになり、ラバトには普通の住宅なども立ち並び、人々が暮らす活気に満ちている。
イスラム、アラブの影響も感じられる街並みは確かにロマンチックだけれど、幾分テーマパークの様な気分になったのも確かだ。
もちろん、歴史を経た本物の力は素晴らしく、くらべものにはならないのですが。
ラバトでも行きたかったレース屋さんがあり、前を通ったのだけれど、お店はお休み中。シーズンオフだったからかも。ゴゾ島で最初すごすご引き返した時に念頭にあったのは、ここラバトのレース屋さんだったのですが、ゴソ島で買うことが出来て、本当に良かった!!

地下墓地は、少し怖くもあり、迷ったのですが、まあせっかくなので、とフレスコ画が美しいという聖アガサの地下墓地に。私達が行く前に試みたという同じツアーの方達は、子供達が遠足か何かで集団でいて、とても煩く人数制限もし、とても待たなくてはいけなかったので、あきらめたとのことだった。

元々、それほど行きたかった訳ではなかったので、それならそれでよいか、と行ってみたところ、私達の他にはスペイン人らしき若い女性の二人連れのみ。
管理人兼ガイドの叔父さんも感じ良く、5分程併設している小さな資料館を見て、その後、すぐに案内していただいた。
写真撮影は禁止。湿気のある澱んだ空気にすぐにマスクをするも、フレスコ画の色彩は美しく残されていて、また当時の埋葬習慣、そして家族への想いなども偲ばれ、土地時代は違っても同じ人間なのだな、とこれまた思いを新たにする。

手前の階段から降りて行く。


入口に至る小径



もう一つ地下墓地があったのだけれど、もういいね、ということでこちらはパスして、地下で少し冷えた身体を温め、疲れた足を休ませるために、路上にある日当たりの良いベンチでまったり。30分くらいは居たかも。
今回、このベンチでまったりを沢山やれたのも楽しかった。

ベンチで見上げた空



11時に巨大とはいえケーキを食べただけだったので、早めの夕食を、と目的のレストランに。
もとは楽団が使っていたというお屋敷を改造したというもので、入口すぐの席は中々素敵。でも寒くなってきたので、奥の、バーカウンターやビリヤード台の置いてあるテーブルに席を取る。



ギャルソンは陽気で親切で、日本の何処から?というので、横浜と答えると。
「横浜タイは素晴らしい!」とのこと。
何かと思ったら横浜(ゴム)タイヤ・・・夫もかつて少しだけ関係したことのある会社だったのでびっくりで、嬉しそうだった。
そういえばマルタには日本車が沢山走っていました。
注文は・・昨日食べてとても美味しかったし、帰国したら食べられないだろうから、と今回もウサギ。
ウサギを注文すると、マルタのレストランの人は皆、とても嬉しそうになるのも楽しかった。

ここのお店の味はより郷土料理風で、デミグラスソース味でソースにはビーンズが一杯入っていて、軟骨の部分もホロホロになるまで煮込んであり、とても美味しかったです。


今回はその日のスペシャルメニューに載っていた人参のスープも頼みましたが、疲れた身体に染みわたる美味しさ。

お店を出た頃には、すっかり陽も沈んでいました。

美味しい料理ですっかり元気になり、「静寂の街」を味わうため、再びイムディーナの城門をくぐりました。

人も少なくなり、幻想的な世界はまさに「静寂の街」。








余り綺麗に写っていませんが、夜景と夜空の星も奇麗でした。
肉眼ではもっと沢山の星を見ることが出来ました。






城門を抜けたところで、夫がボルトでタクシーを呼んだら、なんと30秒くらいでやってきました。

タクシーを待っていたベンチ


道も空いていたせいか結構な速さで走ってくれたせいか、15分程でセントジュリアンのホテルに到着。

トンネルの中の様子をタクシーの中から。
日本と同じ右ハンドル。


あすはいよいよ帰国ということで、荷造りをして、就寝熟睡。





2025年1月19日(日)マルサシュロック・ハジャーイム神殿・ヴァレッタ

2025-02-01 09:55:28 | 旅行
本日も良いお天気で、またしても添乗員Kさんと現地ガイドのHさんが声を揃えて「皆さまは本当にラッキーです!!」。

まずはバスに乗り漁師町・マルサシュロックの朝市に。
やはり潮臭さはない。
プランクトンが少ないと、お魚も少ないのでは?と心配になるけれど、その辺のお話はとくになかったので、それなりに生息しているのだろう。








露店が並び活気があり沢山の人でにぎわっていました。
骨董市が大好きなので、こうした日曜市も気分が上がる。
でも、幸いなことに欲しいものは何もなく、すぐに飽きたので、夫と別行動し、路地裏探索し、出会った猫に挨拶し、住宅街など歩き周り、その後猫のエコバッグだけ買って、早めに集合場所に。

既に現地ガイドのHさんも来ていたので、チャンスとばかりに、マルサシュロックでのお勧めレストランを2つ、RISKA(リスカ)とCARRUBIA(カルビア)聞き出す。

その後バスに乗りハジャーイム神殿へ。途中に見えて来る畑の区切りにもこの土地の白っぽい石が積み上げられ使われている。


東京23区の半分という小さなマルタ共和国だけれど、行く先々の土地の個性は全く違っていて、本当に面白く楽しめる。

海の見える丘に立つ巨石神殿・ハジャーイム神殿に。
保護のために大きなテントに覆われています。

気温もどんどん上がってきて、上着を着ていると暑いくらいに。


黄色い大きなカタバミは3月のシチリアでも沢山咲いていましたが、ここももう春の様子でした。


本当はここからセントジュリアンのホテルに戻ってツアー解散というプランだったのですが、参加者各位から「せっかくなのでマルサシュロックでランチしたい!」という声が多く上がったので(もちろん私達も)、特別にまたマルサシュロックに戻ってくれることになり、そこで解散。

丁度お昼時で、お店は何処も満員。
教えていただいたお店のより庶民的で地元の人にも人気というお店(2つのうちのどちらだったか名前は失念)を見つけ、ウェイターに席があるかどうか聞いていたら、同行の大阪から参加された仲良しマダム二人連れが来たので、せっかくなら、と同席することに。
私達よりも少し年長の御二人は何処へ行くのもタブレット片手に色んなことにチャレンジされていて、皆から感嘆されていた方々。
その御二人と色々お話出来たのも楽しかった。世界中色々と行かれているご様子だったけれど、「まあ、ボチボチな」・・ボチボチは沢山という意味だね、きっと。
タコのサラダとマルゲリータピザを頼んだのだけれど、みな量が多く、4人でシェアしてもお腹いっぱいに。足りなかったらまた何か、と思っていたのですが、充分満足のランチとなりました。
私はそれほど好きではないので日頃からあまり食べないのだけれど、タコが日本のものとは全く違ってとても柔らかく、美味しいとのことで、みな大喜びでした。



ピザもチーズたっぷりで最高!
直径50㎝くらいあったような印象。



昼食後は御二人とお別れし、ベンチに腰掛けアイスを食べながら海を見ながらまったり。
逆行で暗くなってしまいましたが、これはお隣さん。
こんな感じでしばらく日光浴していました。



その後は自力でバスに乗り3回目の、そして最後となるヴァレッタへ。
もうヴァレッタが我が町となっている感じが嬉しい。
まだ歩いていない小さな路地などを歩きまわる。




そしてロウア―バラッカガーデンで対岸のスリーシティーズを眺めつつ一休み。


そして17:30にコンサート会場であるセントポール大聖堂へ。
続々と人が集まってきています。




パレストリーナ(1525~1594)のミサ・パパエ・マルチェッリとグレゴリオ聖歌を交互に、というこれも斬新的な試みでしたが、とても良かった。
夫々の曲ごとに、立ち位置の配置を替え、それによって、響きの変化があり、素晴らしいものでした。
演奏はマルタ国立合唱団で、日本人の若い男性も参加されていた。
マルタで好きな音楽三昧で暮らしていけるなんて、羨ましい!。

終演後はすっかり暗くなりました。


大満足で夜の街に。
お腹もすいたので、目をつけておいたマルタ料理のお店に。
路上に大きなビニールテントを張って、中でストーブを焚いてイルロマンチックなお店。


目的はウサギ。マルタの伝統料理でもあります。
ウサギはミュンヘンに居る頃はお世話になったご家庭のランチの定番で、古くなったパンとウサギ肉でつくったクヌーデル(肉団子)のスープをよく食べていて、大好きな味でした。でも、帰国後はもちろんないし、ウサギ肉だけを食べたことはなかったので今回とても楽しみにしていました。

ここは今まで行ったお店の中では一番高級(とはいっても庶民派の中で)でしたが、味も素晴らしかった。

美味しいだけでなく、ウサギを食べると、体調がより整って元気になる気がしました。
合っているのかも。鳥の胸肉が良いとよく聞くけれど、それに似たよりパワフルな成分があるのかも??
夫も「美味しいね!」ととても気に入っていました。

今回は洗練のグレービーソース味。下にはクリーミーで濃厚なマッシュポテトが敷いてあり、フレッシュミントが添えられていました。付け合わせの野菜のグリルも、パンもワインもみな美味しかったです。
量もとても多いので、ここでも一皿を2人でシェアで丁度良かったです。






でも隣に座っていた北欧系のシニアカップルは、どう見ても私達よりも年上でしたが、夫々がまず大きなサラダボウルくらいの器に入ったムール貝のスープを食べ、その後、ご主人は私達と同じウサギを一人で食べ、奥さんは大きなステーキを一人で・・・
そりゃあ、冬でも泳げるよなあ・・という感じのタフさで、違いを実感。


夜のヴァレッタももうこれで見納め。


日曜日は観光地であっても、お休みしているお店が多かったのは、他のカトリックの国と同様。
でも、夜は様々なカフェの軒先でミュージシャンが楽器や歌で音楽を奏で、道行く人にもお裾分け。
大音量でロックがかかっている店もあったけれど、特に周辺からの文句はない模様。

もうすっかり乗りなれたバスでホテルに戻り熟睡しました。