『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

しっぽ

2022-08-21 22:10:09 | ピピ
ピピはソマリの中でも、特に尻尾がフサフサしているタイプではないかと思います。

今回、たまたま尻尾が目立つ写真ばかりになりました。

カリカリを送ってきたダンボールはどう考えても小さすぎでしょう・・

なのに、新しい物好きで、無理やり中に入り込んでご機嫌です。

お尻の圧で、箱は横に膨れ気味ですが。

猫は液体、とはよく言われていますが、改めてなるほどねえ、と感心しました。

なんだかとぐろを巻いているようにも見える。

流石に尻尾は入りきらないので外に飛び出たままなのですが、それがまたリスみたいで可愛いです。




もう一つはピアノの下の楽譜入れ。

いつもは、ここにBOSEを置いているのですが、ピアニストがご助言を、と私のフルート奏法の原理(古武術奏法)を参考にしたいということでいらっしゃるので、その前にBOSEをどけて、ピアノの蓋を開けて準備していたら、すぐにピピが乗っかって、鍵盤を眺めていました。

見事な尻尾がブラ~~ン。
そして、やや猫背!
集中している気配が背中から伝わってきます。




近寄るとこちらに気付いて「見られてしまった!?」というようにカメラ目線。



ピピは横たわって前後に四肢を伸ばす動作をよくするのですが、この姿勢で尻尾も入れると1メートル程になります。

最早、中型猫科動物。

ビオトピア、漁港の駅など、

2022-08-20 22:36:19 | 旅行
毎月、南足柄の弟夫妻とジロを訪問して、その後、近隣をドライブしてランチして帰宅というのがこのところの唯一のレジャーといえばレジャー。

近場の小旅行ですが、毎回違う場所に、と心がけているので、結構楽しみです。

さて、今回は何処にしよう?もう暑いから家にまっすぐ帰ろうか?など相談していたら、弟夫婦から良い場所を教わった。

「ビオトピア」

という健康に配慮した複合施設で、食べるところもあるらしい、というので行ってみました。

今、改めて調べたら「未病バレー ビオトピア」というのだそう。
https://www.biotopia.jp/

大井松田インターの近くに目立つ高層ビルが唐突に出現していて、「なんだろう?」とずっと思っていたところでした。



おそらく地元の人以外にはあまり知られていないのではないかしら?

行政がやっている施設らしいです。

夏休みの土曜日お昼時というのに、ガラ~~ンとしていて、店員さんとお客さんが同数くらい?

最近増えてきたコロナの影響もあるのかもしれませんが、すいていたこともあり、とても良かったです。

何より、周囲の木々が美しく緑がたっぷり。

ガラス張りのカフェからは、周囲の緑も見渡せて、高台にあるので、目に入るのは空と緑だけ。そしてゆったりすいている。



ドッグランも充実していて、お昼を少し過ぎたところから徐々に人出も増え、わんちゃん連れの家族などが集っていました。

料理も地元の食材を使い、健康に配慮したもので、美味しかったです。

夫がたのんだエスプレッソは小さなカップに半分も入っていなくて、「薬?」というくらいの量でしたが、それを除けば、他はみな良かった。



何より嬉しかったのは、自分で取りに行く形式ですが、お水が2種類で、一つは炭酸水。

炭酸水好きには嬉しいいサービスです。

お土産は足柄牛の冷凍ハンバーグ、地ビール、フリルレタス。

良い晩御飯となりました。


・・・
6月は若い夫婦が二人だけでやっているこだわりのお蕎麦屋さんで、住宅街の一画にあるお店。雰囲気も、お蕎麦の味も、みな良かったです。


7月末は小田原。
こちらは、夫が好きな魚系。
最近出来た、道の駅の海版で、
「漁港の駅 totoco小田原」
https://www.totoco-odawara.com/



肉派の私にはあまり・・ではありましたが、海を見ながら外で食べることが出来るのが良かったです。

海鮮丼にトッピングのウニ500円を頼んだら、「黄色いワサビですか?」というくらいの少なさでひっくり返りそうになりましたが、それ以外は良かったです。


ドヤ顔

2022-08-14 22:58:53 | ピピ
夫の故郷である高知にも、そして夫の父母のお墓参りにも、もうずっと行っていないので、今年の夏は行こうか?

と春には相談もしていたのですが、その後の感染拡大、そして行動制限のない3年ぶりの夏休みで、きっとどこも混雑してるよね、ということになり取りやめになりました。

高齢者夫婦としては良い選択だったと思います。

・・土佐牛、カツオのたたき、フルーツトマト、アイスクリン・・

など、高知ならではの美味しいものが食べられなくなってしまったのは残念でしたが、家族3人と猫一匹で、家でまったり過ごすお盆休みも中々、良かったです。

近所のウナギ屋さんがお盆でお店はやっていないけれど、テイクアウトのお弁当は可能ということで、夫が取りにいって、昼から家族3人でビール&ウナギ弁当。

メインイベントはこれだけでしたが、こういう楽しみ方も中々良かったです。


とにかく暑い中、マスクしてまで外出したくないので、ずっと家の中。

フルートの練習もまるで受験生みたいにやっていた。
なんせ、ずっと家に居るので、家事などやっても、時間はたっぷりある。

そして練習の後は、ピピと遊ぶ。

写真が増えたので、こちらにアップします。

3階屋根裏収納庫の空気取りの窓は今まで一番下までしか行かなかったのが、初めて積んであるトランクを伝って真ん中にまで制覇するようになってドヤ顔。
もちろん、「凄いねえ~~!!」とみんなで褒める。







へそ天もカメラ目線で。



牙、見えてるよ~


アマゾンの箱も自分様に改造して枕に。


ピピは確実にドヤ顔になる瞬間が増えてきています。


ー追悼・植村泰一先生ー 『ザ・フルート 10月号』

2022-08-10 00:04:48 | 音楽・フルート
『ザ・フルート10月号』特別企画として、植村先生の追悼記事が掲載されました。

中野真理さん、岩佐和弘さん、吉野裕子さん、という東京音大の植村門下の方々に混ざって、私にも追悼記事の依頼があり「よろしいのですか?」と恐縮していましたが、先生の最後の20年間を知る一人として書かせていただきました。

先生との写真もお貸しください、というので数枚送り、掲載していただきました。
他の方達の写真もあり、いつもの笑顔の先生が本当に懐かしく、また夫々の皆様のお話からも先生のお姿が立ち昇ってくるようで、何度も記事を読み返しました。

追悼記事の他にも、1995年に掲載された先生の記事が再掲載されており、この記事のことは知らなかったので、興味深く読ませていただきました。

「演奏を支えた一本のフルート」ということで、セルマー、パウエル、ロットと先生の楽器の変遷が書かれていました。

「私は吹きにくい楽器を探します。できるだけ鳴らない楽器、鳴らない楽器を、と求めてね。そしてそれを吹き込んでいくのです。」

という先生の言葉に改めて背筋が伸びる思いがしました。


私も受験前は、セルマーの銀、という珍しい楽器。
その後、音大に入ってからは、パウエルの銀、その後ムラマツの9金、14金、マイユショーのルブレ、銀五代目ロット、マイユショー初代ロット・・


とムラマツを除けば、ほぼ同じ!?

セルマーの笛を吹いていた、というのは、とてもレアだと思う。

セルマーはサックスが有名なフランスのメーカーですが、先生も同じだったことが嬉しい。繊細で如何にもフランス、という音色が好きだった・・

生前に、この話が出来なかったのが残念ですが、私もあちら側に行ったら、真っ先に先生にセルマーの笛の話をしたいと思います。

先生の笛の音が大好きになったのは、もしかしたら、高校生の頃のセルマーの笛の記憶に導かれたのかもしれません。

拙文、掲載させていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・

2000年から2020年まで、毎月レッスンに通わせていただきました。
数々の貴重な教えを授かりましたが、その中で最も言葉を尽くし何度も仰ってくださったのは「もっと人間を磨け」でした。

どれほど、演奏技術が向上したとしても結局のところ音楽で最も重要なのは奏者の人間性であり、その人間以上の演奏は出来ないのだからと。
 
そして何よりも先生の奏でるフルートの音と音楽に教えられたと感じています。

温かく優しく、しかし同時に力強く深いエネルギーを内包した音色と響きに圧倒されました。どこまでも謙虚で、徹底的に作品を探求され、作曲者とその作品を尊重した凛とした音楽でした。

魂に語りかけて来る、あのような稀有な演奏は先生独自のものではなかったかと思います。
あの演奏をもう聴くことが出来なくなってしまったことが本当に無念でなりません。

最後にお会いしたのは昨年の6月でしたが、別れ際、握手をしてくださりながら
「これからは楽しくて人の役に立つことをやっていこう!」と仰ったのが、最後の宿題となりました。

そして、この日に聴いた先生の笛の音は、私の一生涯の目標であり、手本となりました。

先生、20年間ありがとうございました。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 




記念日 8月4日(木)

2022-08-05 00:33:47 | 音楽・フルート
今日はちょっとした記念日となりました。

初めてバッハのチェロ組曲全6曲を通して吹いた日。
リピートなしではあったし、2曲毎に楽器の水分撤去掃除をし、自分は水分補給などしたけれど、それ以外休むこともなく。

・・こんなことが出来るようになる日が来るとはね・・・

バッハは身体の奥底にアプローチするには最も適した楽曲ではないか?と吹き始めたのだけれど、あまりにも以前と違う流れが面白く、それに身を任せているうちに、このような次第となったのでした。

とはいえ、終わった後は久々にベッドに倒れ込んだ。
(リビングのエアコンが故障中なので自分の部屋でさらっているのだけれど、狭い部屋も結構集中出来て良い。)
右の首の下部と右肩甲骨上部が特に疲労したので、このあたりの使い方がまだまだなのだろうね、という課題も浮かびそれも良かった。


チェリスト達が夢見る様に語っている「全曲を1番から6番まで通して初めて見える世界がある」というのを体感してみたかった。

とはいえ、6番は、まだ音域の設定を決めかねているところも多々あり、つっかえながらではあるけれど。

他の曲も、譜読みレベルなので、「初めて見える世界」には程遠いものではあったけれど、それでも、6番のプレリュードが、これほど、嬉しく祝祭感を持って感じられたことは収穫だった。

CDで通して聴いたことは何度もあるけれど、聴いているだけでは、ここまでの感動はなかった。

6番自体が、この組曲全体のジーグとも言えるのだなあ、という実感。
色々大変なこともあるけれど、まあ踊ろうよ!未来に向かって進んで行こうよ!
とバッハに励まされているような。

そして、4番のプレリュードに挿入されている異国趣味の旋律にも通じるようなモチーフが既に3番のジーグにもあって、一種の兆しになっているということに気が付いたり。


1番は青春真っ盛りの爽やかな20代。
2番は30代。哀しみはあるものの、それを乗り越えていける若いエネルギーがある。
3番も同様で、やはり瑞々しい魅力にあふれている。まあ40代くらい?
これが4番になるとガラっと変化し、より陰影と悲しみが増してくる。50代。
そして深い苦悩の5番は60代。
悟りと救いの6番は70代。

バッハの時代は、もっとこの年齢が夫々10歳くらい若かったかもしれないけれど。

人がその生涯に経験する様々な感情、想いがみな、この組曲に集約され、表現されているのを感じることが出来たのは、やはり、全曲通したからこそだと思う。

バッハのチェロ組曲は人の一生まるごとの表現だ。

こんなことはおそらく既に様々なチェリストがきっと語っているかもしれないけれど、でも自身の実感として得られたことが大きかった。

技は飛躍的に進展中で、だからこそ、20代の頃には考えられなかったこんなことも出来るようになったけれど、生き物的には、やはり衰退に向かう年齢で、そうそう、いつまでも「いつの日にか~」なんて悠長なことも言っていられない。

吹けなくなってしまう前に、全曲通しのソロリサイタルが開催出来ればと思います。