copyright (c)ち ふ
絵じゃないかぐるーぷ
平成初めの頃です。
題名変更版
* 象頭の生神さま(003)
数日も経たぬうちに、パソコン通信の「縄通」ネットで、
バンバンと抗議のメールが入ってきた。
蛇たちの親睦団体「蛇ん蛇ん」連合からであった。
奈良県桜井市の大神神社の牝の白蛇のミカ・ホワイトス、
和歌山県の道成寺の牝蛇のキヨヒメ、
奈良県上北山村の土の子の土ッチン、
奈良県洞川の林道に住む文明蜥蝪のゲーヤンに、
知多半島の白龍のチターンまでもが、私を非難した。
例の下ピーとガラバァに、蛇肉売りの商売を勧めたからである。
しまった! と思うがもう遅い。
しかし、皆の言い分を聞いていると、人間なんて1日もやっていられなくなる。
何を食べても、生きものの精が潜んでいるのだ。
これでは、霞や水ばかりで暮らさなければならない。
いや、そうすれば、今度は霞や水の精に絞られそうだ。
じゃ、どうすればいいと言うんだ!!
人間を止めろと言うのか!
しかしながら、よくよく考えてみれば、蛇の肉が旨いという評判が立ち、
人々が競って、彼らを捕まえ出すと、彼らの生存そのものが危ない。
せっかくグロテスクな風貌に甘んじ、人間を遠ざけているヤツラの
言うことにも一理はある。
私は悩んだ。
下ピーとガラバァには堂々と暮らして欲しいし、
かといって、蛇肉売り以上の商売が、あの時代にあるとは思われない。
そんなに簡単に金が手に入るのなら、住宅ローン、
3人の子供の教育費に四苦八苦している、
この私がとっくに始めている。
私は、また龍之介集をパラパラとめくってみた。
その時、「鼻」に目が止まった。
そこで、ある閃きが湧いてきたのだ。
この短篇は、20数年前、私の高校の「現国」の
教科書に出ていたものでもあった。
私も長女のマイカも習っていることは
あまり変わりばえしないようだ。
授業で習ったことなので、あまり違和感は感じなかった。
もう一度じっくりと読み返してみた。
ウーン、
この内供のオッさんのイメージ、
どこかで聞いたことがあるぞ。
なかなか思い出せない。
どこかのお寺なんだが・・・
あれはどこだったのか?
そうだ!
あれはまだ信貴生駒スカイラインがバイクの締め出しを行なっていない頃だった。そのスカイラインは20km足らずの短い道路である。王寺から入ると、左に大阪平野、瀬戸内海、右手には奈良盆地が、交互に眼下に見渡せる稜線ドライブを楽しめる快適なコースの一つだった。
あの時はちょうど桜が咲いている季節だった。桜並木の下を走っていると、淡いピンク色をした桜の花びらが風に煽られて、ちらほら、あるいは、ぱらーっと一面に渦を巻きながら落ちてきた。その花景色は今だに頭に焼きついている。
それからほどなくして、バイクで暴走する者が増え、交通事故も増加してきたので、バイクは全面乗り入れ禁止になってしまった。残念でならない。一部の不心得者の為に、バイク乗りが色眼鏡で見られるのは、腹も立つし情けなくもなる。
けれども、暴走する者はバイクに限らない。普通車にだって多いはずであるが、普通車の暴走族は救われ、一方では、善良なバイク乗りが締め出される。法律なんていうものは、そのあたりでしか物事を捉えられないものなのだろう。
そのスカイラインの奈良出口の傍に、゛聖天さん゛の名で親しまれている宝山寺(歓喜天根本道場、真言律宗大本山「生駒宝山寺」)がある。あそこの寺の御本尊にそっくりのイメージであった。頭は象の頭である。当然鼻は長くて大きい。
私はしめた! と思った。
バナイラン(内供のニックネーム)は宇治では笑い者の対象かも知れないが、生駒あたりに住めば、生神さまとして持て囃されるに違いない。劣等感なんていうものは、すぐさま優越感に変わる兄弟のような感情だ。
そういう感情を持っていないヤツは扱いにくいが、優越感を劣等感に変えたり、劣等感を優越感に変えるのは、至極簡単である。優越感にはそれ以上のものを見せつけたり教えたり、あるいは、無視したりすればいいし、劣等感を持つ者には、その価値観の外に出してやるように工夫すればいい。
それにしても、バナイランの奴、僧侶の身のくせに、象頭人身の大聖歓喜自在天も知らなかったのか!
親戚のような鼻をしているくせに。時代が少し違うから、宝山寺のことを知らないのは仕方ないとしても、何かの本やどこかで見かけなかったのか。それにしても、劣等感に悩まされて、家の中ばかりに引き篭もっているからだ。
20才ぐらいに象鼻の聖天はんを知っていれば、劣等感にも悩まされず、結婚も出来ただろうに。今だに鼻の世話してくれる女も居ないなんて・・・
(ウワーッ。またまた、一つ知っているぐらいで、大きい顔をするオッさんの癖が出てしまった。しかし、この際ついでに言ってやれ。こんな機会、年に何回もないのだから)
何という、論語読みの論語知らずなのか。きっと、宗派が違うために頭から小馬鹿にして、他派のことなど、勉強もしなかったに違いあるまい。先入観で物を見る罰があたったのだ。しかし、50才を過ぎても遅くはない。
やり直しはきく。そう言えば、50なんてヒヨコのピーのように尻の青い存在だと誰かが言っていたなあ。
私は、バナイランの説得をN先生に頼むことにした。N先生は、70才を少しばかり過ぎた、私の高校時代の校長だ。博学で、小柄だが貫禄がある。
私は、あまり付き合いはなかったのだが、この話にも短歌で参加してくれている親友のちうが、短歌を見てもらっているので、彼と話していると何かと話に出てくるのだ。
バナイランのように自尊心の強い男は年下ということだけで、私の話などまともに聞いてはくれないだろうし、奴の弟子が鼻の茹で縮めを勧めた時のような細かい心理戦などは、苦手である。
亀の甲より年の功、N先生には、うってつけの仕事だろう。
私の考えた新規商売への粗筋とは、次のようなものだ。
N先生にバナイランを説得してもらい、生駒あたりに引っ越しさせ、下ピーとガラバァを雇い生神様になる。聖天さんのご出来というわけである。
世の中が荒んでいるので、現世利益を願う者が多いから、きっと繁盛することだろう。新々宗教がはやるご時勢だ。
もちろん、バナイランには、何ヵ月に1回かは、例の鼻蒸しをして鼻を縮め、普通の鼻にしてやって、京の都の祇園あたりで散財させ、ストレスを解消させてやる。鼻蒸しは、ガラバァが喜んでやるだろう。
何しろ、あの大きな鼻に埋もれた大好物の脂にたっぷりと有りつけるのだから。
ガラバァも、その脂のせいで若返りして、もしかするとバナイランの花嫁ぐらいには成れるかもしれない。バナイランとガラバァの取り合せ、これこそ合体歓喜天様が望んでおられることだろう。
また、下ピーの生活も安定して、ささやかな結婚生活も送れるだろう。これは、3人にとって悪い話ではない。
バナイランは、国道24号を城陽市の先で右に折れ、宇治川沿いに10数km行った、宇治市池ノ尾の荒れ寺に住んでいる。N先生には、ご足労かけるが、そこまで出向いて貰うことに決めた。
先生に行って貰う前に、私は下調べをしておいた。先生が道に迷われると悪いと思ったからである。
道路地図帳で見ると、宇治川ラインに沿って京滋バイパスの笠取I・Cに向って走ってゆくと、途中にK電力のK発電所がある。
その近くの橋を渡り山道を越えれば、池ノ尾にゆけそうである。私は、早速サヤカにまたがって現地に赴いた。
橋を渡るには許可がいる、と書かれていた。私は、おそるおそるインターフォンの押しボタンを押した。
プーーッ。
つづく
絵じゃないかぐるーぷ
平成初めの頃です。
題名変更版
* 象頭の生神さま(003)
数日も経たぬうちに、パソコン通信の「縄通」ネットで、
バンバンと抗議のメールが入ってきた。
蛇たちの親睦団体「蛇ん蛇ん」連合からであった。
奈良県桜井市の大神神社の牝の白蛇のミカ・ホワイトス、
和歌山県の道成寺の牝蛇のキヨヒメ、
奈良県上北山村の土の子の土ッチン、
奈良県洞川の林道に住む文明蜥蝪のゲーヤンに、
知多半島の白龍のチターンまでもが、私を非難した。
例の下ピーとガラバァに、蛇肉売りの商売を勧めたからである。
しまった! と思うがもう遅い。
しかし、皆の言い分を聞いていると、人間なんて1日もやっていられなくなる。
何を食べても、生きものの精が潜んでいるのだ。
これでは、霞や水ばかりで暮らさなければならない。
いや、そうすれば、今度は霞や水の精に絞られそうだ。
じゃ、どうすればいいと言うんだ!!
人間を止めろと言うのか!
しかしながら、よくよく考えてみれば、蛇の肉が旨いという評判が立ち、
人々が競って、彼らを捕まえ出すと、彼らの生存そのものが危ない。
せっかくグロテスクな風貌に甘んじ、人間を遠ざけているヤツラの
言うことにも一理はある。
私は悩んだ。
下ピーとガラバァには堂々と暮らして欲しいし、
かといって、蛇肉売り以上の商売が、あの時代にあるとは思われない。
そんなに簡単に金が手に入るのなら、住宅ローン、
3人の子供の教育費に四苦八苦している、
この私がとっくに始めている。
私は、また龍之介集をパラパラとめくってみた。
その時、「鼻」に目が止まった。
そこで、ある閃きが湧いてきたのだ。
この短篇は、20数年前、私の高校の「現国」の
教科書に出ていたものでもあった。
私も長女のマイカも習っていることは
あまり変わりばえしないようだ。
授業で習ったことなので、あまり違和感は感じなかった。
もう一度じっくりと読み返してみた。
ウーン、
この内供のオッさんのイメージ、
どこかで聞いたことがあるぞ。
なかなか思い出せない。
どこかのお寺なんだが・・・
あれはどこだったのか?
そうだ!
あれはまだ信貴生駒スカイラインがバイクの締め出しを行なっていない頃だった。そのスカイラインは20km足らずの短い道路である。王寺から入ると、左に大阪平野、瀬戸内海、右手には奈良盆地が、交互に眼下に見渡せる稜線ドライブを楽しめる快適なコースの一つだった。
あの時はちょうど桜が咲いている季節だった。桜並木の下を走っていると、淡いピンク色をした桜の花びらが風に煽られて、ちらほら、あるいは、ぱらーっと一面に渦を巻きながら落ちてきた。その花景色は今だに頭に焼きついている。
それからほどなくして、バイクで暴走する者が増え、交通事故も増加してきたので、バイクは全面乗り入れ禁止になってしまった。残念でならない。一部の不心得者の為に、バイク乗りが色眼鏡で見られるのは、腹も立つし情けなくもなる。
けれども、暴走する者はバイクに限らない。普通車にだって多いはずであるが、普通車の暴走族は救われ、一方では、善良なバイク乗りが締め出される。法律なんていうものは、そのあたりでしか物事を捉えられないものなのだろう。
そのスカイラインの奈良出口の傍に、゛聖天さん゛の名で親しまれている宝山寺(歓喜天根本道場、真言律宗大本山「生駒宝山寺」)がある。あそこの寺の御本尊にそっくりのイメージであった。頭は象の頭である。当然鼻は長くて大きい。
私はしめた! と思った。
バナイラン(内供のニックネーム)は宇治では笑い者の対象かも知れないが、生駒あたりに住めば、生神さまとして持て囃されるに違いない。劣等感なんていうものは、すぐさま優越感に変わる兄弟のような感情だ。
そういう感情を持っていないヤツは扱いにくいが、優越感を劣等感に変えたり、劣等感を優越感に変えるのは、至極簡単である。優越感にはそれ以上のものを見せつけたり教えたり、あるいは、無視したりすればいいし、劣等感を持つ者には、その価値観の外に出してやるように工夫すればいい。
それにしても、バナイランの奴、僧侶の身のくせに、象頭人身の大聖歓喜自在天も知らなかったのか!
親戚のような鼻をしているくせに。時代が少し違うから、宝山寺のことを知らないのは仕方ないとしても、何かの本やどこかで見かけなかったのか。それにしても、劣等感に悩まされて、家の中ばかりに引き篭もっているからだ。
20才ぐらいに象鼻の聖天はんを知っていれば、劣等感にも悩まされず、結婚も出来ただろうに。今だに鼻の世話してくれる女も居ないなんて・・・
(ウワーッ。またまた、一つ知っているぐらいで、大きい顔をするオッさんの癖が出てしまった。しかし、この際ついでに言ってやれ。こんな機会、年に何回もないのだから)
何という、論語読みの論語知らずなのか。きっと、宗派が違うために頭から小馬鹿にして、他派のことなど、勉強もしなかったに違いあるまい。先入観で物を見る罰があたったのだ。しかし、50才を過ぎても遅くはない。
やり直しはきく。そう言えば、50なんてヒヨコのピーのように尻の青い存在だと誰かが言っていたなあ。
私は、バナイランの説得をN先生に頼むことにした。N先生は、70才を少しばかり過ぎた、私の高校時代の校長だ。博学で、小柄だが貫禄がある。
私は、あまり付き合いはなかったのだが、この話にも短歌で参加してくれている親友のちうが、短歌を見てもらっているので、彼と話していると何かと話に出てくるのだ。
バナイランのように自尊心の強い男は年下ということだけで、私の話などまともに聞いてはくれないだろうし、奴の弟子が鼻の茹で縮めを勧めた時のような細かい心理戦などは、苦手である。
亀の甲より年の功、N先生には、うってつけの仕事だろう。
私の考えた新規商売への粗筋とは、次のようなものだ。
N先生にバナイランを説得してもらい、生駒あたりに引っ越しさせ、下ピーとガラバァを雇い生神様になる。聖天さんのご出来というわけである。
世の中が荒んでいるので、現世利益を願う者が多いから、きっと繁盛することだろう。新々宗教がはやるご時勢だ。
もちろん、バナイランには、何ヵ月に1回かは、例の鼻蒸しをして鼻を縮め、普通の鼻にしてやって、京の都の祇園あたりで散財させ、ストレスを解消させてやる。鼻蒸しは、ガラバァが喜んでやるだろう。
何しろ、あの大きな鼻に埋もれた大好物の脂にたっぷりと有りつけるのだから。
ガラバァも、その脂のせいで若返りして、もしかするとバナイランの花嫁ぐらいには成れるかもしれない。バナイランとガラバァの取り合せ、これこそ合体歓喜天様が望んでおられることだろう。
また、下ピーの生活も安定して、ささやかな結婚生活も送れるだろう。これは、3人にとって悪い話ではない。
バナイランは、国道24号を城陽市の先で右に折れ、宇治川沿いに10数km行った、宇治市池ノ尾の荒れ寺に住んでいる。N先生には、ご足労かけるが、そこまで出向いて貰うことに決めた。
先生に行って貰う前に、私は下調べをしておいた。先生が道に迷われると悪いと思ったからである。
道路地図帳で見ると、宇治川ラインに沿って京滋バイパスの笠取I・Cに向って走ってゆくと、途中にK電力のK発電所がある。
その近くの橋を渡り山道を越えれば、池ノ尾にゆけそうである。私は、早速サヤカにまたがって現地に赴いた。
橋を渡るには許可がいる、と書かれていた。私は、おそるおそるインターフォンの押しボタンを押した。
プーーッ。
つづく