copyright (c)ち ふ
絵じゃないかぐるーぷ
平成初めの頃です。
題名変更版
* 開店「京の芋粥」店
イモンガーには、2~3日後と言ってあるので奴も心待ちにして待っていることだろう。平日に、サヤカに乗るのは、最近では極力止している。40も半ばになると、平日に会社から帰って、バイクに乗り回すには、ご近所の手前、気が引ける。購入後、間もない頃は練習のため毎日乗っていたのだが、ずっと昔のことである。
しかし、用事があれば話は別だ。Oさんに言い訳するのに、四苦八苦する。私の顔つきで嘘はわかっているのだが、内職の途中なので深く追求はしてこない。N先生に会って聞くことがあるとか何とかゴマカして飛び出す。
「電話で済むでしょ!」
少しトゲがあった。
「電話では、失礼にあたるので」と言いながら、冷汗いっぱいで飛びだした。今夜は、生駒に寄るだけで済む。主役は、下ピーが務める。
イモンガーは、やはり首を長くして待っていた。
「わが主人、生駒の生神・バナイラン様が、是非あなたに門前で、高級料理「京の芋粥」の店を開いてくれるように、頼んでくれと申されましたので、やって参りました」
バナイランにも観音様のお告げがあったということ。バナイランも観音様の生神だと言うことなどを説明するまでもなく、イモンガーは旅支度をして待っていた。こういう奴には神仏の力は大きい。人間同士だと、中々こうはいかないだろう。観音様を間に挟めばスムーズにゆく。
人間関係の大潤滑油だ。やっぱり、ブツブツやヤハヤハたちが、頭をこねくり回して、作り上げただけはある。精神上の大発明には違いない。その点は、私は大いに評価している。発想の大転換だからだ。そういうものが無いと、人間としての価値に乏しい。せっかく考える力があるのに、それを利用しないのは怠慢だ。考えるのが何のことかも分かっていないバンカカチッチ以下だ。
イモンガーは、鼻髭を剃り、小ざっぱりとして待っていた。それにしても観音はんの声は、力を持っている。
下ピーに私を紹介して貰った。ウン、何となく似ているので、親しみが湧く。私は、オッさんと名乗っておいた。またまた、三人乗りで生駒まで、帰った。
平日なので、暴走族も少ないため、交通の取り締まりも緩やかだった。それでも、念のため、裏道ばかりを走ったので、時間は掛かった。生駒で彼らを降ろし、私はサヤカと帰路についた。
イモンガーには、明日からはバラ色の生活が待ち受けている。ウソも方便とは言え、彼には、観音様じきじきのお言葉、一生消え去ることはないであろう。その言葉を信じ、選ばれた民として、自信たっぷりに生きてゆける。
今までの生活が惨めだっただけに、二度とあのような生活に戻るまいとして、全力疾走するに違いない。また、そういう生き方をしていれば、あの風采の上がらぬ雰囲気も一掃されて、人を引きつけるような人間に変わるに違いない。羨ましい限りだ。
私も負けてはいられない。かといって、オレの明日に何があるというのだろう。ただいつも通り起きて満員電車に乗って、9時から6時近くまで会社で仕事なるものをして、また帰ってきて寝る。定年までとは言え、何と味気ない生活の繰り返しなのだろうか。
何がしたいか 何をするべきか われ自身
40過ぎても 今だに掴めぬ
ち ふ
怠惰な生活に少しでもカツを入れるために、
龍はんの全集を読み続けることにした。
つづく