copyright (c)ち ふ
絵じゃないかぐるーぷ
平成初めの頃です。
題名変更版
* 芋粥商売の薦め
少し横道に逸れた。本道に引き返そう。
イモンガーの人生最大の目的、「芋粥をあきるほど飲む」夢も、今ではすっかり色褪せてしまっているはずだ。ということは、奴は、いま無目的に日々を過ごしているのだろう私には、それが勿体なく見えて仕方ない。
奴は、芋粥にもっともっと執着すべきだ。今の時代、芋粥に、そんなに情熱を燃やすことが出来る人間など、鐘・太鼓で捜しても居るものではない。貴重な存在だ。彼は、芋粥博士になるべきだ。それが、彼の本当に生きるべき道だ。
この間、ガラバァにご馳走になった芋粥の不味かったこと。あれでは、イモンガーは嘆くことだろう。それに、下ピーやバナイランも、あんな不味い味では閉口しているだろう 私は思う。
彼は、官庁勤めなどすぐに止めて、「芋粥」の研究と商売をすべきである。あの時代の上流階級の高級料理「芋粥」を安く庶民に提供すべきだ。生神様に参りに来る庶民相手に「芋粥屋」をするのが、彼に一番合っているように思われる。
鍋釜相手に芋粥作りに撤するのが相応しい。薄い口ひげを剃り落として、少し清潔にすれば、客も喜んで食べるだろう。いくら生神様に会いに来るとはいえ、参拝客は何か具体的な喜びを求めているはず。貴族のとっておきの高級料理を、安く食えるとなれば、評判になって参拝客も増えるに違いない。資金は、バナイランに出させてやろう。奴もきっと乗ってくるはずだ。
私は、さっそく「縄通」ネットで、バナイランに相談してみた。バナイラン達も、観女センティのリース手のお陰で、このネットに加入出来ているのだ。バナイランは、下ピーにイモンガーのことを聞いたみたいだ。
下ピーは、もともと貴族の下働き。イモンガーのことは、万更知らぬわけではないらしい。「赤鼻」で、同僚、子供からも揶揄されていると聞いて、いたく同情したようだ。かっての己の姿を見いだしたのだろう。
その日のうちに、
「すぐにでも連れて来てくれ、オレが面倒みよう」と、返信メールを呉れた。彼ら知理・芥グループの結束は、ますます強くなっていくようだ。孤独な奴らが、心を開けば、2度と孤独に陥りたくないため、必死の努力をするのだろう。
それにしても、龍はん、なぜ人々を救いようのない泥沼に落とし込んで、そ知らぬ顔をしているのだろう。今の時代にそぐわないというのに。ちょっと、手を貸してやれば皆、生き生きとしてくるではないか!
私は、このグループの事を知り尽くしているN先生に電話でイモンガーの攻め方を教えてもらった。
奴は、ああ見えても、小心で疑り深い。ああいう輩には、目の前で、奇跡を起こすような事をしてやれば、一発で参るはずだとアドバイスしてくれた。そこまで、教えて貰えればあとは、この私の頭で解決つきそうだ。
たしか、奴は「観音経をうろおぼえ」だと書いていた。観音はんの口から直接、「芋粥商売しろ」とひとこと言ってもらったら、一コロだろう。私は、どの手を使おうかと迷った。利用するものがたくさん有り過ぎて選択に悩むようになってきた。ありがたいことだ。ここは、やっぱり御本尊に頼むことにしよう。 というわけで、唐招提寺の観音はん、観女センティに頼むことにした。
ある土曜の夕方、西の京へ行き、センティから、顔一つレンタルした。その足で生駒に寄り、下ピーを乗せる。道案内をしてもらうためだ。
イモンガーの家は、羅城門の西の方にある湿地帯の傍の安普請のバラック小屋だった。同僚と喧嘩でもしたのか、住み込み生活から足を洗っていた。40も越えると、さすがに厚顔な奴といえども、部屋住みは気が引けるのだろうか?
それにしても不潔極まりない。こんな奴に、「食べ物商売」やらして大丈夫かいなあ? 少々心配になってきた。
その夜は、センティからのリース顔を飛ばし、イモンガーに暗示を掛けるだけにした。もちろん、この術はサヤカに頼む。私たち二人は、隙間から覗いていた。
{五位の者よ、目覚めよ。わらわは、六波羅の観音じゃ}
イモンガーは、せんべい布団を跳ねあげて飛び起きた。眠る時まで熟睡できないらしい。可哀相にもう何もかも小心に出来ている。この私そっくり。首観音を見て、頭を板の床につけ、両手を合わせて、観音経を唱え始めた。
{お前に、申しわたすことがある。
お前は、すぐさま勤めを止め、
生駒へ行き芋粥を作って人々に食べる喜びを与えよ。
それが、そなたの 生きる道じゃ。
2~3日うちに、わらわの使いの者が来る。
その者の言うことを聞き、よくよく精進せよ!
その汚いヒゲは剃れ食べ物商 売には不向きじゃ。
よいか!
おいしくて、安い芋粥を庶民に作ってやれ!
わかったか!!}
ヒゲ剃りは、私のお節介だ。衛生上、汚らしい。
{ははーっ。ふぁい、ふぁい。わかりましてごぜーます}
平伏して答える。
私と下ピーは、その様があまりにも真剣なので、笑いを堪えるのに苦労した。イモンガーには悪いが、これが一番てっとり早いと思ったのだ。下ピーは、生神様の正体を知っているので、ありがたみを全然感じていない。この私は、半無神仏論者なので、これまたありがたみに乏しい。
そういう二人から見ると、いくら観音様の頭とは言え、鰯の頭も同様なのだ。イモンガーが、真剣になればなるほど、滑稽に見えた。宗教が違えば、お互い、とんでもないものを信じている違いに驚き、その馬鹿さ加減に呆れるのだろうが、平成の今の時代でもそれほど世界の交流はないので、その違いがよく分かっていない。世界の人々の交流が進めば、宗教も今よりは、もっともっと進化するだろう、と思っているのだが。
観音頭が、ボロ家から出てきたので、私たちは腹を抱えながら、サヤカの所へと走り戻った。人の人生が掛かっているというのに、この態度。いつか誰かに同じ仕打ちを受けたとしても甘んじることにしよう。それが礼儀というものだ。その日は、下ピーを生駒で降ろし、センティの所へ顔を返しに寄った。
つづく
絵じゃないかぐるーぷ
平成初めの頃です。
題名変更版
* 芋粥商売の薦め
少し横道に逸れた。本道に引き返そう。
イモンガーの人生最大の目的、「芋粥をあきるほど飲む」夢も、今ではすっかり色褪せてしまっているはずだ。ということは、奴は、いま無目的に日々を過ごしているのだろう私には、それが勿体なく見えて仕方ない。
奴は、芋粥にもっともっと執着すべきだ。今の時代、芋粥に、そんなに情熱を燃やすことが出来る人間など、鐘・太鼓で捜しても居るものではない。貴重な存在だ。彼は、芋粥博士になるべきだ。それが、彼の本当に生きるべき道だ。
この間、ガラバァにご馳走になった芋粥の不味かったこと。あれでは、イモンガーは嘆くことだろう。それに、下ピーやバナイランも、あんな不味い味では閉口しているだろう 私は思う。
彼は、官庁勤めなどすぐに止めて、「芋粥」の研究と商売をすべきである。あの時代の上流階級の高級料理「芋粥」を安く庶民に提供すべきだ。生神様に参りに来る庶民相手に「芋粥屋」をするのが、彼に一番合っているように思われる。
鍋釜相手に芋粥作りに撤するのが相応しい。薄い口ひげを剃り落として、少し清潔にすれば、客も喜んで食べるだろう。いくら生神様に会いに来るとはいえ、参拝客は何か具体的な喜びを求めているはず。貴族のとっておきの高級料理を、安く食えるとなれば、評判になって参拝客も増えるに違いない。資金は、バナイランに出させてやろう。奴もきっと乗ってくるはずだ。
私は、さっそく「縄通」ネットで、バナイランに相談してみた。バナイラン達も、観女センティのリース手のお陰で、このネットに加入出来ているのだ。バナイランは、下ピーにイモンガーのことを聞いたみたいだ。
下ピーは、もともと貴族の下働き。イモンガーのことは、万更知らぬわけではないらしい。「赤鼻」で、同僚、子供からも揶揄されていると聞いて、いたく同情したようだ。かっての己の姿を見いだしたのだろう。
その日のうちに、
「すぐにでも連れて来てくれ、オレが面倒みよう」と、返信メールを呉れた。彼ら知理・芥グループの結束は、ますます強くなっていくようだ。孤独な奴らが、心を開けば、2度と孤独に陥りたくないため、必死の努力をするのだろう。
それにしても、龍はん、なぜ人々を救いようのない泥沼に落とし込んで、そ知らぬ顔をしているのだろう。今の時代にそぐわないというのに。ちょっと、手を貸してやれば皆、生き生きとしてくるではないか!
私は、このグループの事を知り尽くしているN先生に電話でイモンガーの攻め方を教えてもらった。
奴は、ああ見えても、小心で疑り深い。ああいう輩には、目の前で、奇跡を起こすような事をしてやれば、一発で参るはずだとアドバイスしてくれた。そこまで、教えて貰えればあとは、この私の頭で解決つきそうだ。
たしか、奴は「観音経をうろおぼえ」だと書いていた。観音はんの口から直接、「芋粥商売しろ」とひとこと言ってもらったら、一コロだろう。私は、どの手を使おうかと迷った。利用するものがたくさん有り過ぎて選択に悩むようになってきた。ありがたいことだ。ここは、やっぱり御本尊に頼むことにしよう。 というわけで、唐招提寺の観音はん、観女センティに頼むことにした。
ある土曜の夕方、西の京へ行き、センティから、顔一つレンタルした。その足で生駒に寄り、下ピーを乗せる。道案内をしてもらうためだ。
イモンガーの家は、羅城門の西の方にある湿地帯の傍の安普請のバラック小屋だった。同僚と喧嘩でもしたのか、住み込み生活から足を洗っていた。40も越えると、さすがに厚顔な奴といえども、部屋住みは気が引けるのだろうか?
それにしても不潔極まりない。こんな奴に、「食べ物商売」やらして大丈夫かいなあ? 少々心配になってきた。
その夜は、センティからのリース顔を飛ばし、イモンガーに暗示を掛けるだけにした。もちろん、この術はサヤカに頼む。私たち二人は、隙間から覗いていた。
{五位の者よ、目覚めよ。わらわは、六波羅の観音じゃ}
イモンガーは、せんべい布団を跳ねあげて飛び起きた。眠る時まで熟睡できないらしい。可哀相にもう何もかも小心に出来ている。この私そっくり。首観音を見て、頭を板の床につけ、両手を合わせて、観音経を唱え始めた。
{お前に、申しわたすことがある。
お前は、すぐさま勤めを止め、
生駒へ行き芋粥を作って人々に食べる喜びを与えよ。
それが、そなたの 生きる道じゃ。
2~3日うちに、わらわの使いの者が来る。
その者の言うことを聞き、よくよく精進せよ!
その汚いヒゲは剃れ食べ物商 売には不向きじゃ。
よいか!
おいしくて、安い芋粥を庶民に作ってやれ!
わかったか!!}
ヒゲ剃りは、私のお節介だ。衛生上、汚らしい。
{ははーっ。ふぁい、ふぁい。わかりましてごぜーます}
平伏して答える。
私と下ピーは、その様があまりにも真剣なので、笑いを堪えるのに苦労した。イモンガーには悪いが、これが一番てっとり早いと思ったのだ。下ピーは、生神様の正体を知っているので、ありがたみを全然感じていない。この私は、半無神仏論者なので、これまたありがたみに乏しい。
そういう二人から見ると、いくら観音様の頭とは言え、鰯の頭も同様なのだ。イモンガーが、真剣になればなるほど、滑稽に見えた。宗教が違えば、お互い、とんでもないものを信じている違いに驚き、その馬鹿さ加減に呆れるのだろうが、平成の今の時代でもそれほど世界の交流はないので、その違いがよく分かっていない。世界の人々の交流が進めば、宗教も今よりは、もっともっと進化するだろう、と思っているのだが。
観音頭が、ボロ家から出てきたので、私たちは腹を抱えながら、サヤカの所へと走り戻った。人の人生が掛かっているというのに、この態度。いつか誰かに同じ仕打ちを受けたとしても甘んじることにしよう。それが礼儀というものだ。その日は、下ピーを生駒で降ろし、センティの所へ顔を返しに寄った。
つづく